いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

友達が死んだので僕はかなしい

 同居人のパンダ(故人)が先日、自己愛性パーソナリティと診断されたので気になって僕も自己診断チェックシートにいくつ当てはまる項目があるか確認してみたら、10個中13個当てはまってしまった。????? どういうことだ? 見間違いかと思い、もう一度チェック項目の数を上から丁寧に数えあげた。1、2、3、……10。10個ある。そのうち当てはまるのは1、2、3、……14個。なんてことだ。また1つ増えてしまった。何かの間違いかもしれない、もう一度だけ確認してみようとマウスをスクロールさせた瞬間、ロフトの上でパンダが暴れ出した。
 パンダの病気はここ数日、特にひどい。二日前なんて、上野で気分良く飲んでいたらHUBの入り口にやけに人だかりが出来ていて、見てみるとパンダがラグビーのユニフォームを着た大学生を片っ端から引きちぎっていた。
 ブォン。
 ブチッ。
 パタン。
 積み上げられた大学生の死体(と呼んでいいのかもわからない物体)に外国人がふざけてお酒をぶっかけたらパンダはその外国人も引きちぎってしまった。オー!ノー!と近くで酔っ払ったサラリーマンがふざけて叫んだらそのサラリーマンも引きちぎられた。僕は血の海というものをその時はじめて見たが、もう二度とあんなものは見たくない。
 人が死ぬのはとても悲しいことだ。
 その日、家に帰るとロフトの上でパンダがすすり泣いていた。
「人をあんなふうに殺すのは良くないよ」と階下から声をかけると、「うるせぇよ!!!!!」と怒鳴られた。怒鳴り声と一緒に、冷えきったレモネードが勢いよく飛んできて、買ったばかりのスーツケースが黄色く染まった。大学生のときから愛用しているジュンク堂のマグカップが大きな音をたてて割れた。だけど僕は何も云わなかった。ああなってしまったパンダには、何を云っても無駄だと知っているからだ。
 パンダはもう何週間も風呂に入っていなくて、元々白かったはずの体毛も随分と黒ずんでしまっているから、パッと見で彼がパンダだと誰も気づかない。
 次の日、新宿で映画を観て帰ってくると、珍しくパンダがロフトから降りてきて、パソコンをいじっていた。
「何してんの?」
凱旋門賞の予想してる」
 パンダが競馬に興味を示すのは珍しかった。いつもは競馬を観戦する僕のことを、あんなの人間のエゴだろ、とか、動物にお金を賭けるなんてアホじゃないの?とか、どうせ当たんないのになんでそんな熱中できるかね、とか、冷めた目で馬鹿にするパンダだったのに、どういう風の吹き回しだろう?
 ただ、パンダが何かに興味を示すのはいい兆候だと思い、僕はお節介にならない程度にパンダに今回出走する馬の情報を教えてあげた。パンダはふうん、と気のない相槌を打つだけで、聞いているのかいないのかよくわからない様子だった。
 パンダはキセキが勝つと予想した。
「なによりもまず、名前がいい。名前がいいやつってのは信頼できる。名前には人の祈りが込められてるからな」
 僕は日本馬が凱旋門賞を勝つのは難しい、特にキセキは前走のトライアルであまりいい結果を出せていない、と説明したが、パンダは耳を貸そうともしなかった。パンダは僕のJRAのアカウントでキセキの単勝に1万円賭けた。
 キセキは7着だった。
 パンダは怒るでもなく、悲しむでもなく、最初からまったくそんなものには興味がなかったかのように、何も喋らずロフトの上に戻っていった。
 次の日、パンダは自分の喉を掻っ切って死んでいた。
 臭くなるといけないので、僕はパンダの死体を窓から投げ捨てた。
 一週間後、大きな台風が東京の街に幾億ものパンダの死体を降らせ、みんな死んだ。
 死ぬ間際、空から降ってくるパンダのひとつと目があった。黒目がちな瞳で、パンダはこう語っていた。ノー!!!!!!ノーフューチャー!!!!!!!!!!!
 だけど本当はそんなこと語っていなかったかもしれない。
 おわり

東京オリンピックに僕はいない

 そんなわけで、僕は死んでしまった。
 みんな、さようなら。
 まさか、本当に自分が死ぬことになるとは。
 自分が死ぬときは、焼身自殺とか、心中自殺とか、割腹自殺とか、なんか、よくわかんないけど、そういう劇的な、人の心に強く残るような、そんな死に方をするものだとばかり思っていた。なぜなら、僕はこの世界で唯一無二だから。そう信じてきたから。
 
 死因:事故死
 
 僕は駅のロータリー前でタクシーに轢かれて2メートルほど吹き飛ばされた挙句、喫煙所に設置された灰皿の隅に頭をぶつけて死んだ。
 喫煙厨、氏ね!w
 つって!www
 実際に死んでるのは僕なわけですがwww
 死ぬ間際、あーこれで明日から会社行かなくてよくなるなー、とか、セックスしたかったなー、とか、アルバム出してみたかったなー、とか、貯金せず暮らしてきてよかったなー、とか、そういうことを考えた。悲しい7割、ホッとした3割といった感じだった。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないと必死に祈ってみたりはしたが、同時に、まあこれで死んじゃっても仕方ないか、という気分だった。
 特別な、絶対に死にたくないという強い意志があれば、あの絶望的な状況から生還することだってできたのかもしれないけど、僕のような、休みの日にすることがなく人に馬鹿にされる人生を送ってきたつまらない人間にそれは到底不可能な芸当だった。
 あー、これ自分死ぬな、ってわかっちゃったら、形だけ反抗するフリはしたけど、それはフリで、内心ではもう死を受け入れてしまっていた。僕は基本的に受け身なのだ。誰かに話題を振られないとずっと黙っててしまうような人間なのだ。これをしろと云われなければ何もしないような人間なのだ。
 だから、死にました。
 みなさん、さようなら。今まですいませんでした。そして、ありがとうございました。
 僕のお葬式には、僕の家族と、地元の友人が何人か、あと、昔お世話になった先生が来てくれた。地元の友人たちはあっさり僕の死を受け入れていたようだった。彼らとの連絡はもう何年も絶っていたので、向こうにしてみれば僕なんてのはとっくに死んだようなものだったのかもしれない。わざわざ来てくれるような先生や、家族は、泣いてくれてた。ちょっとうれしかった。その後、ホテルで会食をした。魚の煮物が美味しかったのを覚えている。
 半年後、忘年会を理由に集まった大学の同期が会の後半、ぼそぼそと僕の死を話題にした。みんな、その話をするときは妙にしんみりしていた。涙こそ流さなかったし、露骨にあいつ良いやつだったなぁ、というような話はしなかったけど、でも、それぞれ感じるものはあるようだった。単純に人が死んだ、ということが怖かったのかもしれない。
 僕は僕が死んだことを僕が死んだ三時間後くらいかな、それくらいしてから思い出して、ツイッターで報告した。
「死にました。みなさん、さようなら」
 しばらくは誰もそのことを本気にしていないようだった。僕が死んでから一週間くらい、僕のツイートが更新されないのを見て、誰かがあれ?と感じはじめて、それから更に一ヶ月くらいして、ツイッターの誰もが僕のことを忘れたころにどういう経緯か僕の家族から僕が死んだことを聞いた僕のフォロワーが僕が本当に死んだことを報告して、それでようやく僕の死はインターネット上を流れた。
 インターネット上を流れた、と云っても、所詮、一個人の死だ。有名人の死ですら、3日もすれば忘れられるような世の中なのだ。何人かが、僕が死んだことを悲しむツイートをして、それで終わりだった。僕はシャクだったので、僕の死を悲しまなかったフォロワーの家の前にタヌキの死骸を放り投げた。本当はパンダの死骸がよかったけど、残念ながら日本に野生のパンダはいない。
 死んでみてわかったのは、人の死が語られるとき、その傍らには常にお酒がある、ということだった。僕自身、僕の死を語るときは常に日本酒を飲んでいたように思う。
 10年後、何を思ったのか、誰かがイタコに僕の霊を降ろしてもらおうぜwと云い出した。僕自身はとくに何も感じなかった。みんなは反対した。その人はそれから半年後に胡散臭い起業家に騙されて全財産を失う。だけど、僕の霊をイタコに降ろしてもらおうぜwと云い出したときはまだ全財産を失っていなかったので、まわりの反対を押し切って彼は単身、青森は恐山に向かった。
 彼はわざわざ前日に恐山の近くに宿を取り、まだ少数の人間しかいない時間帯を見計らって列に並んでくれた。深夜2時起きだった。徹夜組だった。
 それでも、3時間は待たされていた。彼は辛抱強く列が前に進むのを待った。何が彼をそこまでさせるのか?僕にはわからない。彼のまわりには、僕以外にも数人、死んだ人間がいた。祖母、中学の同級生、バイト先の先輩、会社の後輩……。そのなかで僕を選んでくれたということが、僕はうれしかった。でも、ちょっと不気味でもあった。僕ら、そんな仲よかったっけ?w
 僕くらいの距離感の人間ならイタコに降霊してもらっても、死者への冒涜とか、そういうのを意識しないで済むのかもしれない。5時間待って、彼はイタコに僕の霊を降ろしてもらった。
 その半年後、彼は胡散臭い起業家に騙されて全財産を失い、それが原因で友人知人も失うが、たった一人、彼の幼なじみだけは彼を見捨てなかった。その幼なじみはかなりのイケメンなので、うーん、これはBL!、と僕のなかにいる腐女子な僕も大満足だった。
 彼と幼なじみはその3年後、二人でオランダに移住した。
 ハンターハンターが完結した。
 村上春樹ノーベル平和賞を受賞した。
 D.O.が8度目の逮捕をされた。
 SMAPが再結成した。
 ラーメン荘が日本橋に東京2店舗目のお店を出した。
 ハンターハンターを読み、ノーベル平和賞受賞に湧き、D.O.8度目の逮捕に苦笑いし、SMAP再結成を喜んだ。開店当日に並んだ。あまり美味しくなかった。
 もちろん、その間も色々な人が死んだ。
 不謹慎かもしれないけれど、僕は僕以外の人間が死ぬのを見て、ちょっと、うれしかった。僕だけが特別なわけじゃない。みんな、死ぬ。みんな、特別じゃない。
 僕が死んでから数十年後、僕のことを知っていた人はみんな死んでしまった。
 僕がこの世界にいたという確かな根拠は、もうどこにもなくなってしまった。
 最近、僕はプリキュアの後番組として始まった女児アニメにハマっている。面白い。女児アニメとは思えない展開の連続で、ハラハラドキドキする。これを観て育った女子が将来、どういう大人になるのだろう、と不安にもなる。楽しみでもある。
 僕は毎週放送後、このアニメが終わるまでは死ねねーな、と思う。
 つってね。

 おわり

タバコのためにわざわざ飲むアイスコーヒー

 完全にしんどい。アホか、と思う。喉が痛いし鼻と耳の穴がかゆくて仕方がない。最初は風邪かと思ったが、よくよくよくよくよくよくよく考えると花粉症な気がしてきた。最悪だ。世界中の木々を今すぐ伐採するべきだ。例えそのせいで環境が破壊され、地球が数百年後に滅びてしまっても知ったことじゃない。残念なことに、本当に残念なことにその頃には僕は生きていない。自分が死んだあとの世界なんかどうでもいい。僕は自分の死が、飲み会なんかで「あいつもなんだかんだ良いやつだったなぁ」と妙にしんみりして感傷に浸るための道具にされてしまうのが我慢ならない。僕が死んだら僕に関わってきたすべての人間も全員一緒に死んでほしい。というか、僕に関わってきたすべての人間が死ぬのを見届けるまで僕は死にたくない。たまに、生きててもしょうがないし30とかですっぱり死にたい、と云っている雑魚丸出しのバカがいるけれど、アホか、と思う。死ね。さっさと死ね。もう死ね。しかしそういうやつに限ってゴキブリ並の生命力で300歳まで生き残ったりするから腹が立つ。健康に気を使ってタバコも吸わないし、ビタミンサプリとかも欠かさず摂取していたりするし、血圧のことを考えてインスタントの味噌汁も減塩のものを選んだりする。それでいてなんか知らんが大麻を合法化しろとかツイッターでうるさかったりする。もうやだ、きしょい……、それになんだか何をしていても楽しくないし……、もうだめだ、死のうかな……と流石の僕も参ってしまって15分前まで鬱々としていたけれど、よくよくよくよくよくよくよくよくよく考えると僕一人すら満足に楽しませることができない世界がしょぼくて間違っているだけだということに気づいて間一髪、一命をとりとめました。人類最強の気持ちがようやくわかった。誰も彼もがあまりにもしょぼすぎる。そして僕が強すぎた。雑魚ども調子はどう?と問いかけることなどもはや無意味だ。ていうかもうまともに話をすることすら馬鹿らしくなってきた。就職して週5で働いているというだけで馬鹿が馬鹿にしてくるし、仕事に対する意欲も何もないからいつまで経っても仕事を覚えられなくて職場でも相手にされない。僕が悪いのか?今すぐ辞表を叩きつけて家でふて寝すればお前たちは満足するのか?急にやる気を出して試験勉強を始めればお前たちは満足するのか?そういった事柄に何の意味も意義も見いだせない僕が間違っているのか?家で天井を眺めながら思いにふける以上に大切なことがあるとはとても思えない。思えないよ……。

<今日学んだこと>

・かつて日本では寄生虫のせいで金玉がとんでもなく腫れる病気が蔓延していた

西郷隆盛も被害者

・コンビニで買った日本酒があんまり美味しくなかった

おわり

ジ、エクストリーム、スキヤキ

 僕はお風呂に浸かってる。自分の部屋の、狭い、足も伸ばせないような狭い浴槽にお湯を半分だけ溜めて、そこに浸かってる。きちんと掃除していないから、背中のあたりがちょっとだけぬめぬめする。

 Bluetoothスピーカーを浴室に持ち込んで、それで音楽を聴いている。聴いているのはこの前出たばかりの、プリパラの新しいアルバムだ。今度、筐体のゲームも復活するらしい。

 プリパラは、僕の大学生活が始まった年に始まって、僕の大学生活が終わる年に終わった。だから、僕はプリパラに対して、なんというか、一蓮托生のような、そういう一体感のようなものを感じていて、それなのにプリパラは新しいアルバムを出して、ゲームも復活するから、なんだよそれ、と少し怒ったような気持ちになっている。

 でも今、プリパラの音楽のおかげで、かろうじて僕は意識を保っていられる。

 さっきまでベッドの上で、起きているような、眠っているような状態でごろごろしていたから、まだちょっとうとうとするのだ。

 気を抜くと、溺れてしまいそうだ。自分の家のお風呂で? 自分の家のお風呂で溺れるなんてことが、本当に起こるのだろうか。僕の周りで、そういう話は聞いたことがない。たんに、自分の家のお風呂で溺れたなんて、恥ずかしくて誰も言えなかっただけかもしれないけれど。

 お風呂で、溺れるか、溺れないかの境目をふらふらしながら、僕は昼間行った動物園のことを思い出した。アニマルセラピーという言葉がある。僕はなんだかここ最近ずっと、頭が冴えなくて、気分も鬱々している。だから、動物園に行って、かわいい動物でも見れば、少しくらいは気分も晴れるかなと、そう考えたのだ。

 だけど、実際行ってみると、動物を眺めるのはかったるく、これは違うな、とすぐに気づいた。

 動物も見ないで園内を歩いていると、なぜか彫刻展をやっているところがあって、そこに鎌倉の大仏くらい大きな男の彫像が飾ってあって、せっかくなので僕は建物の二階にあるベンチに座って、その彫像をぼんやり眺めてみた。身体中が銀色に光り輝いていた。その彫像は平和への祈りを込めて作られたものらしかった。その時の僕の心は揺れ動いていたように思う。

 そこに、どれくらいいたのか、正直よくわからない。一人でいるときは、時間とか、空間とか、そういうことは漠然とだけ感じておけばいいから、楽だ。

 だから、僕はそのあとどういう道順を辿って駅まで歩いたのかも、その道中どこに寄って、何をしたのかもよく覚えていない。何時に家に帰ってきたのかも知らない。

 湯船が冷めてきたから、お湯を少しだけ注ぎ足す。

 動物園で、動物を横目に歩きながら、Twitterをやめるべきかどうか、ということを考えていた。Twitterで、人のことを馬鹿にしたり、人のことを馬鹿にしたり、人のことを馬鹿にしたりするのは、たしかに楽しいけど、そういうことばかりしているからか、実際に人と喋るときに、うまく言葉が出てこなくなってしまった、ような気がする。先日、会社の同期の飲み会に行ったときも、何か話を振られた僕はえへへ、とか、でへへ、とか、笑ってばかりでまったく会話が盛り上がらなかった。

 ひとつ考えたのは、僕の知り合いにいる、山登りが趣味の女子中学生に今度使っていないタブレットをあげることになっていて、そのときに僕のアカウントも一緒にあげちゃおうか、というものだった。その場でパスワードを変えてもらえば、もう、僕は一生そのアカウントにログインすることができなくなる。僕のフォロワーはみんな優しいから、急にアカウントの中の人が変わっても、きちんと受け入れてくれると思う。

 だけど、僕は普段からそういう、急に人が変わったようなつぶやきをしていて、だから誰も、僕がTwitterを辞めて、アカウントを別の人にあげちゃったことに気づかないんじゃないか? ということを考えた。

 というよりも、僕はまさにそれを狙っていて、知り合いの女子中学生につぶやきを交代することで、ま〜たあいつ変なこと云ってるよ、という段階を経て、いや、いつまでそれ続けんの?となり、やがて、あれ、いとうくんほんとに大丈夫?となるのを期待しているんじゃないか? ということも考えた。僕はただ、みんなに心配されたいだけじゃないのか? という疑念が生まれたのだ。そして実際、僕はただ、みんなに心配されたいだけなのかもしれない、と思った。

 僕のなかには、そういうふうにみんなに心配されるのを切望している僕と、みんなは逆に大丈夫か?と意地悪く言い返す僕がいて、時にはかまってちゃんの僕が、時には練マザファッカーの僕が顔を出すせいで、インターネットでもあんまり人と仲良くなれないんじゃないか、と僕は僕のことを解釈している。

 でも、間違っているかもしれない。

 わからない。

 僕には、これはこうです、と強く主張できる何かがない。何事にも、あまり自信を持てない。

 とりあえず、そんな、もしかすると僕のエゴが混じっているかもしれないような作戦に無垢な中学生を巻き込むわけにはいかないから、その娘にTwitterのアカウントをあげる、という案は却下だった。

 頭のなかがぐるぐるしてきた。のぼせてきたのかもしれない。

 いつの間にか、プリパラの新しいアルバムは2周目に入っていた。

 プリパラが新しいアルバムを出して、筐体ゲームも復活して、なんだよそれ、と怒る気持ちと同じくらい、それを祝福している気持ちが、本当は僕のなかにもある。

 というよりも、そっちのほうが、たぶん大きい。

 だけど、単純におめでとうって言うのが恥ずかしいから、拗ねたふりをしているだけのような気がする。

 僕はプリパラがわりと好きだ。だから、ノンシュガーの三人が「かりすま〜とGIRL☆Yeah!」を歌っていたり、ちりちゃんとしゅうかが二人で歌っていたり、マイドリが新曲を歌っていたり、しゅうかが友達は一番かけがえのないものと歌っていたりするのを聴いたときは素直にうわ〜! と嬉しかった。

 完全にのぼせてしまった。水を浴びる。冷たい。汗が止まらない。

 筐体のプリパラが復活したら、ちょっと遊びに行ってみてもいいかもしれない。

 もちろん、それで僕の大学生活が戻ってきたりするような、そんな奇跡は起こんない。でも、まあ、それでいいのだ。僕の未来に、何か、僕の過去にリンクするような出来事が待ち受けていると、そういうふうに考えられるなら、とりあえず、僕の未来はそんなに暗くはないんだと思う。

ジ、エクストリーム、スキヤキ

ジ、エクストリーム、スキヤキ

 

おわり

自分のために歌われた歌など無くてもいい

 僕は昔、ミステリが好きな少年だった。
 何百ページにも渡って宙吊りされ続けた謎が、名探偵によって全て解き明かされる、その瞬間、本当の意味で世界には光明が差し込む……。暗転。僕は生まれ変わっている。虚構の上で何度も生と死を追体験する。その小説を読み終えた僕と、それを読む前の僕とは全くの別人だ。僕、生まれた。ブックオフすらない地方都市の片隅で、リサイクルショップやゲームショップに申し訳程度に存在する古本コーナーから探し出した小銃を頭に突きつけ、引き金を引くのだ。ゆっくりと、だけど、目を輝かせ、震える体を必死に押しとどめて……。
 カチン。
 パチリ。
 教室に居場所がないわけではないけど、クラスの中心グループには体のいいネタ枠として扱われ、隅っこに固まるオタクグループはカードゲームかテレビゲームの話しかしない。放課後、友達はみんなそれぞれの部活動に向かい、帰宅部の僕は一人、夕焼けに染まる土手沿いの道をペダルを漕いで進む。帰り道、古本の品揃えが変わらないことを承知でリサイクルショップやゲームショップに立ち寄る。本当に読みたい本はここには置いていない。アマゾンはあるにはあるが、送料のことを考えると多用はできない。なにせ、当時の僕は月に3000円程しかお小遣いを与えられていないのだから。本を買い、CDを借りる以外には一銭も使ってはならないのだとかたく誓うが、それでもとてもじゃないけど足りない。
 とにかく、欲望に対して、何もかもが足りてなさすぎる。僕はここではない、どこかに行きたかった。僕ではない、何かになりたかった。
 家に帰り、鞄に放り込んである文庫本を取り出す。
 カチン。
 パチリ。
 そんな僕もやがて高校を卒業し、大学へ通うため大阪へ出てくることになる。行動範囲に古本屋がいくつもいくつもいくつも存在する事実にときめく。グーグルマップに丁寧にブックマークをつけ、休日のたびに電車を乗り継ぎ旅に出る。ジグソーハウス、天牛書店、ブックオフ難波戎橋店、まんだらけブックオフ大阪心斎橋店、南海なんば古書センター……。四天王寺下鴨神社で行われる古本まつりにも足を運んだ。毎日、背中に激痛が走るまでリュックに古本を詰め込み、棒になった足をさすりながら、それでも満ち足りた気分で帰路についた。全てが新鮮だった。ハヤカワポケミスや創元文庫なんか、僕の街にはなかった。ここには読むべきミステリが山ほどある。知らない作家もごまんといる。毎日のように新しい作品が世に出て、望めばそれを発売日に購入することができる。夢のようだった。僕は貪るようにそれらを読んだ。緻密に練り上げられたストーリー。あっと驚くような展開。物語を彩る様々な舞台設定。魅力的で愛すべき登場人物たち。誰も考えつかないような突飛なトリック。そして、愛と祈り。
 だが、どんな新鮮な出来事にも、人は慣れてしまう。
 僕はやがて、ミステリたちに真剣に向き合おうとしなくなる。もともと、ジャンルの壁をあの手この手で破壊してきたメフィスト賞作品ばかり読んできたせいもあり、手に汗握るストーリーや展開はどれも似たような感じで楽しめくなり、舞台設定や登場人物をきちんと把握する努力もせず文章をただ流し読みするようになり、トリックに至っては感心すらなくなる。どの本を読んでも同じに思えてしまう。確かに僕の中にもあったはずの愛はどこに消えてしまったのだろう?自問。週末に古本屋を巡ることをやめる。プリパラを始め、高橋源一郎古川日出男山下澄人、果てには中原昌也を読み、小説を鼻で嗤い、小説を真摯に読んでいる人間を鼻で嗤い、小説を真摯に書いている人間を鼻で嗤い、代わりにヒップホップを聴くようになり、競馬にハマり、深夜にアニメを観てはかわいいキャラクターのエロ同人をDLsiteでdigる日々……。
 どこで踏み違えてしまったのか?ミステリを愛するキッカケが佐藤友哉だったことがいけなかったのか?本を読んだらまずネットで他人の感想を眺めそれと自分を同化させることで何かを感じとったフリを続けたのがいけなかったのか?アガサ・クリスティーエラリー・クイーンをきちんと読まず、メタや叙述トリックや密室という単語にばかり反応してきたのがいけなかったのか?
 そもそも僕は本当にミステリが好きだったのか?好きな作家がたまたまミステリに偏っていただけで、ミステリというジャンル自体には何の思い入れもないんじゃないのか?自問。小銃をこめかみに突きつけても、もう昔のようにはなれない。
 カチン。
 パチリ。
 カタルシスは与えられず、やがて僕は大学を卒業し、ついに社会人となる。
 状況は何も好転せず、むしろ悪化する。本を開くどころか、本屋に行くのも億劫になる。途端、新しい作家や作品の情報は入ってこなくなり、たまに気が向いて本屋を覗いても困惑するだけになる。あれだけ大切にしていた本棚には埃が積もり、最早タイトルの判別すらつかなくなる。日々の更新に耐えられず、昔読んだ本の内容を片っ端から忘れていく。本のタイトルと作者名と内容が結びつかなくなる。性格も暗くなる。プリパラも辞め、馬券は適当に買うようになり、深夜にはアニメも観ず無料エロ動画で惰性で射精する日々……。なぜこうなってしまったのかと自問することすらやめる。24、25、26と歳を重ね、やがて三十路に突入する。もうヒップホップも聴かなくなってしまう。代わりに年金や選挙、青羽ここなや人生設計という現実的な事柄だけが脳みそを占拠するようになる。増え続ける体重を危惧しジムに通うようになり、唯一の娯楽は銭湯上がりに飲む一杯のビールになる。家ではユーチューブで漫才や雑談配信の切り抜きばかり眺め、腰は衰え、友人も恋人もおらず、昔好きだったアニメの主題歌を聴き、あれだけ憎んでいた地元での生活を懐かしむようになる。本棚とその中身を全て売り払い、代わりにソファを買い、そこで天井のシミばかりを数え始める。会社以外ではコンビニの店員くらいしか話す相手もいなくなり、両親から結婚という言葉を聞くこともなくなる。会社では自分より先に出世していく後輩たちに何も感じなくなり、同期の名前すら出てこなくなる。代わりに、スーパーの精肉コーナーで将来何になりたい?と我が子に尋ねる父親の姿に自分を重ね始める。結婚して家族もいる兄弟と顔を合わせるのが苦痛になり実家にも寄り付かなくなる。意を決して婚活パーティーにいくが誰にも相手にされず、漫画雑誌はモーニングしか読まなくなり、休日はユニクロのシャツしか着なくなる。死ぬのをただ待つ老人と自分とで一体何が違うのか。わからない。
 ただ一つ、わかっていることはこれはあり得たifの話で、実際にはこうはならず、それはなぜなら『カササギ殺人事件』を読んだからに他ならないからだ。そこには緻密に練り上げられたストーリーがあった。あっと驚くような展開があった。物語を彩る様々な舞台設定があった。魅力的で愛すべき登場人物たちがあった。誰も考えつかないような突飛なトリックがあった。そして、何よりそこには愛があり、祈りがあった。ミステリというジャンルへの、誠実な祈り。それに呼応し、僕の魂は今一度、思い出す。夕焼けに染まった土手沿いの道を。リュックのなかに詰め込んだ、溢れんばかりの愛すべき小銃を。
 おめでとう。
 また、会えましたね。
 こんな日が、いつか、やってくることを願っていたよ。
 僕は昔、ミステリが好きな少年だった。
 そして、今は、ミステリが好きな青年だ。
 僕は未来を変え、未来を変えることで過去を肯定する。そして、現在を更新する。
 カチン。
 パチリ。
 目を開くと、そこには。

 おわり。

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

 

 

20190826(月)_雨

 コミティアに行ってきた。コミックマーケットが終わって、もうここに来るのはこれが最後になるだろうな、と感慨深い気持ちで東京ビッグサイトをあとにしたけど、全然そんなことはなかった。青梅会場に来るのは初めてだったけど、いつもの会場と何が違うのかまったくわからなかった。コミティアに出品してる漫画も半分くらいどれがどれなのかまったくわからなかった。みんな好き勝手に会場を右往左往するから方向感覚が狂ってしまいここがどこなのかもまったくわからなかった。コミックマーケットはまだ人の流れが統率されていたけど、コミティアにはそれがないので人混み酔いする。吐きそうだった。世界で一番不快指数が高いイベントだと思った。

 コミティア会場に着いた僕はまず、たいぼく先生のブースに向かった。たいぼく先生の漫画はエッセイ漫画に見せかけたストーリー漫画に見せかけたエッセイ漫画なので毎度感動する。今回は顔のいい女と顔のいい男が神戸の元高を観光するついでに怪異を退治するお話だった。感動した。

 そのあと、窓ハルカの新刊を買ったり、他にも色々な漫画を買った。本当は全部感想を書いて伝えられたらよかったんだけど、どうも熱中症になってしまったようで身体が重たかった。炭水化物が足りていないのか頭がうまく回らなかった。近くのショッピングモールにご飯を食べに行ったら敷地内に子供と犬しかいないのでびっくりした。屋内になぜか大きな噴水があり、そこで子供たちが派手に暴れまわって遊んでいた。その横で犬が噴水のなかにおしっこをしていた。どこもかしこも、まるで外国の街並みのような風景だった。ラーメン屋に入ったらラーメンのような何かが出てきた。美味しくなかった。隣の外国人は半分くらい食べてさっさと外に出てしまった。僕も同じようにした。

 コミティア会場に戻った僕は、まずおかだきりんの短編集を読んだ。顔のいい女(虚構)と地味で華のない生活(現実)をバランスよくどうやって漫画に落とし込むかが大事なんだなという気づきがあった。次に清宮涼の新刊を読んだ。絵が可愛かった。エロ漫画はエロくない漫画以上に読者の感情を喚起させる必要性があって、絵が可愛いだけではそのハードルを超えることはできないのだなと感じた。その後にナクヤムパンリエッタの新刊を読んだ。台湾に行くお話だった。新刊を買ったあとに自分がナクヤムパンリエッタのアンチだったことに気づいて悲しかった。新刊は文庫サイズなのでこれなら持ち運びしやすいな、と思うことにした。最後に窓ハルカの新刊を読んだ。完全に天才だった。読んでいて3千回くらいは笑ったと思う。本当は3回くらいだったかもしれない。それじゃ少なすぎるから、たぶん10回くらいは笑っていたんだと思う。

 帰り際、喫煙所の近くに笹みたいな草が生えていたのでありがたくいただくことにした。美味しかった。きっと来年もまた来よう、と思った。COMIC ZINが僕たちを待っている。

おわり。

夏休みの宿題の答え合わせ

2019/08/09(金)_雨
 朝早く起きて、少しだけベッドでうだうだしたあとに部屋の掃除を始めた。部屋の床とトイレくらいはきれいにしておきたいと思ったが、家にはカピカピに乾いたフローリングシート一枚しかなかった。仕方ないのでずっと閉まっておいた雑巾を使うことに。大きなホコリは掃除機で吸い、その後雑巾がけ。めんどくせぇ……。物が積み上がったスペースを片す体力はなく、放置。ホコリまみれの雑巾で便器だけはきれいに磨いておいた。トイレをきれいにするのは楽しい。
 お昼過ぎ、香賀美くんが来る。お土産にチョコミントのアイスを買ってきてくれた。ありがたい。香賀美くんはバニラのアイスだった。二人で食べる。香賀美くんは今夜、渋谷のほうでライブがあるので長居はできないとのことだった。家にいてもつまんないし、外に出る?と訊くと「雨だし、あちぃーし、いいじゃん。ここで遊んでようぜ」との返答。なんとなく嬉しい。二人で最近イチオシの音源を流し合ってどっちがイケてるかバトルをした。判定も僕たち二人しかいないので、後半グダグダになったがそれなりに楽しかった。アイスを食べ過ぎたのか、香賀美くんが何度もトイレに立つので便器を掃除しておいてよかった、と思った。でもあんまり浴槽とかキッチンをジロジロと眺めないでほしかった。
 香賀美くんを駅まで送って、駅前の喫茶店へ。ナポリタンを食べながら平山夢明『ヤギより上、猿より下』を読む。相変わらずひどい。特に表題作は、落ち目の嬢しかいない風俗店にオラウータンとヤギが嬢としてやってきて、オラウータンがNo1になるというもの。笑う。
 銭湯に行こうか悩んで、結局家の湯船にお湯をはる。浴槽もきれいにしておけばよかったな。

2019/08/10(土)_雨
 案の定、早めに目が覚める。溜まっていたプリチャンを流し観る。プリティーシリーズのチームが結成するエピソードどれも良すぎる……。王子様ポジ(?)のすずちゃんをお姫さまポジ(?)のまりあちゃんが迎えに行くという構図や、まりあちゃんがブランコで現れるというハッタリが観ていて楽しい。キラッツのみんなが一日駅長になる話もワチャワチャしてて楽しかった。
 お昼過ぎ、森田季節『ウタカイ 異能短歌遊戯』を読む。結構おもしろかった。このあたり(?)のラノベ作家をきちんと追いかけたいな。石川博品も結局耳刈ネルリシリーズとか読めてないんだよなー。あと中村九郎。いや、これらの作家をひとくくりにしてしまってよいのかはわからないんだけど。
 それから、傘をさして駅前の本屋へ。舞城王太郎、百々瀬新『この恋はこれ以上綺麗にならない。』の2巻が出ていたので購入。連載を追っているので改めて買う必要はないんだけど、舞城王太郎書き下ろし小説がついているので、一応購入した。まあまあ面白い。でも、舞城王太郎の作るお話より百々瀬新の描くかわいいキャラクターのほうが説得力を持ってしまっているのは問題だと思う。『バイオーグ・トリニティ』はまだ、舞城王太郎の書く物語と大暮維人の描く漫画が拮抗に勝負していたように感じたんだけどな……。
 夜、香賀美くんから、「飲みに行かね?」と連絡が来るが、明日はコミックマーケットに行く予定なので丁重にお断りする。うう、心が痛い……。エロ本と親友を天秤にかけて、エロ本をとってしまった。でも、苺ましまろの作者本は絶対欲しいのだ。あと、アクリルフィギュアも絶対欲しいのだ。買えたらTシャツも買いたいのだ。ごめん、香賀美くん。

2019/08/11(日)_雨
 香賀美くんの誘いを断っておきながら、起床したのは9時過ぎだった。あれー?しかし過ぎてしまったものは仕方ない。秒で支度する。首からぶら下げるナイロンポーチ、よし。購入したエロ同人をしまうナップサック、よし。この時間からだと並ぶものなのかどうかまったくわからないので、荷物は極力少なめに。ナップサックに石川博品メロディ・リリック・アイドル・マジック』だけ入れて出発する。電車のなかで読む。お、おもしろい。石川博品は結構作風を変える、というか毎回様々なテーマをかかげて小説を書いている作家で、だけどそこにはきちんと誠実さがあるので好感が持てる。僕も美少女アイドルと一つ屋根の下で暮らしたいと思った。
 東京ビッグサイトに着く。なぜか一駅くらい歩かされた。ぎょ、行列だ!すごい人。すごい熱気。昨日までの雨が嘘のように、太陽がガンガンに照りつけている。し、しんどい……。タオル持ってくればよかった。たまの潮風しか味方がいない。過酷だ。なぜこんなにつらい思いをしてまで、と何度も思った。入場する前にもう服がびしゃびしゃになった。これは死ぬと思い、自販機を見つけるたびにペットボトルを購入する。舐めていた……。もうちょっときちんと準備してくればよかった。次はもうちょっと準備してこよう、と決意する。多分、次はないと思うけど。
 なんとか苺ましまろ本だけ買う。アクリルフィギュアとTシャツはもうなかった。ショックだ……。その後西ホールに向かう。2ホールに行きたかったが間違えて1ホールに入ってしまったので一度出て2ホールに向かうが、2ホールに行くには1ホールから入ってくれとの激高が聞こえて最悪だった。なんとかもう一度1ホールに入るが、人が多すぎて2ホールに入れない。そうこうしているうちに、欲しかった新刊が軒並み完売。もう2ホールをまわることは諦めて、フードコートに。涙を流しながらつけ麺を食べた。朝から何も食べていなかったので結構美味しかった。
 食後、もう一度西Bホールへ。石川博品のブースに行く。『あたらしくうつくしいことば』を買う。やっとちゃんと本を買えたので嬉しくて心のなかで何度も感謝した。それから、同ホールをぶらぶらしながらエロ本エリアの人が少なくなるのを待つことにする。14時ごろにようやく活動を再開。コスプレイヤーの人のお尻や谷間を眺めながらアイスを食べる。西2に到着。まともに動けるくらいには人が少なくなっていたので、何冊かエロ同人誌を買って、疲れ果てて帰路につく。ちょうどモノレールに乗り込んだタイミングで雨が振りはじめた。
 家に到着、即、シャワー。それから『メロディ・リリック・アイドル・マジック』の続きを読むために喫茶店に。ついでに夕飯にワッフルを食べる。たまには糖分もええな、と思う。

2019/08/12(月)_雨
 朝早くに香賀美くんから電話。「今日家行くわ」と一方的に云われる。とくに用事があるわけでもないので、もちろん了承。11時ごろに香賀美くんやってくる。床に散らばったままの、昨日買ったエロ同人誌を見て、「お前、こういうのが好きなの……?」と本気でドン引きされる。余計なお世話だった。「犯罪はよくねーぞ」と、謎の心配をされた。
 はやめの昼食を食べるため、外へ。香賀美くんも僕もビニール傘のヘビーユーザーなので、歩きながらもお互いの表情がよくわかる。会話はなかった。香賀美くんはいつもの仏頂面。僕はあんまり香賀美くんが笑っているところを見たことがない。悔しそうな顔や、怒った顔や、怒り狂った顔なら何度も見たことがあるのに。
 駅前のラーメン屋に。ふたりとも豚骨ラーメンの大盛り。僕は紅生姜をこれでもかと乗せて食べた。香賀美くんは紅生姜が嫌いなのか、手を付けようとすらしなかった。誰もいない店内で僕たちだけでラーメンをすすった。ラーメンは対して美味しくなかったが、僕は幸せだった。
 それから、二人で雨の高円寺を散歩した。香賀美くんはTシャツが欲しいらしく、何軒か古着屋を巡って、結局濃いグリーンのショートパンツを買った。なんでやねん、と思ったが口にはしなかった。
 歩き疲れた僕たちはそのまま高円寺の安い居酒屋へ。香賀美くんはカシスオレンジばかり飲む。ビールは苦いだけだし、ハイボールはあんまり味がしなくて苦手らしい。24歳になっても、舌はお子様のままなのだ。まあ、僕も人のことは云えないけど。僕はジンジャーハイボールばかり飲んでいた。
 お互い空けたグラスが3杯目くらいになった頃に、香賀美くんが唐突に真面目な顔で、
「お前の部屋、本、増えてたな」
 と訊いてきた。
「え、あ、ああ。うん。まあ、減ることはないよね。ああいうのは」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ」
 なにやらまずい方向に話が流れていきそうで、僕はちょうど運ばれてきた焼き鳥をつまんだ。香賀美くんはナムルばっかり食べていた気がする。
「お前、小説はもう書かねーの」
 うん、とか、うーん、とか、何も答えていないに等しい曖昧な肯定を重ねたような気がするけど、あんまり覚えてない。

2019/08/13(火)_雨
 昨日のお酒が残っているのか、少し頭痛がして午前中はベッドの中でうだうだして過ごす。プリチャンの最新話を観たけど、あまり内容が頭に入ってこなかった。
 部屋にあったカップ麺をすすっていると、「あと10分で着くから。外でろ」と香賀美くんからLINEが。わけもわからず支度をして外に出ると、アパートの前に車が止まっていて、運転席の窓から香賀美くんが顔をのぞかせた。
「乗れよ」
 促されるままに助手席に座る。
「なにこの車、どうしたの?」
「借りた」
 運転席の床に十王院グループの名刺が落ちていた。
「どっか行くの?」
「ああ」
 香賀美くんはそれ以上何も語ろうとしなかった。経験上、これ以上の追撃はすべて無視されることを知っているので、僕は黙って香賀美くんの選曲であろう5lackの曲に耳を傾けていることにした。
 香賀美くんの運転する車は早稲田通りを抜け環七通りを南へ下っていった。車を持たない、運転しないことをモットーにしている僕には、もうまったく行き先の予想はつかない。香賀美くんはずっと黙ったままだ。
 今日が、連休の最終日だった。結局、何もできないうちに終わってしまった。こうやって、行動できないままに時間は過ぎ去っていくのかと思うと、少し怖くなった。もう、24歳なのだ。例えば17歳の僕が、どれだけ想像力を駆使しても全く思い浮かべることすらできなかったであろうはずの未来に、僕はいるのだ。
 無性に何かに向けて謝りたくなった。
 やがて車は、もはやどこを走っているのかもよくわからなくなった。
 5lackのアルバムが終わり、そのまま今度はC.O.S.Aが流れる。
 17歳の僕は、まさか自分がヒップホップを聴くようになるだなんて、まったく考えてもいなかっただろうな、と思う。
 C.O.S.Aの声と窓を叩きつける雨音が融合する。もうずっと東京では雨が振り続けている。テレビでは異常気象だなんだと大騒ぎだけど、そうは云ったってどうせ雨なんていずれ止むだろうし、僕にとって雨なんてのは傘をさすかささないかの差でしかないので、なんだかどうでもよかった。もし、もしも神様なんてものがいたとして、その神様が雨を降らせ続けていたいのなら、そうすればいいし、飽きたっていうのなら、やめたっていい。どっちだって一緒だ。
 時間は流れる。C.O.S.Aのアルバムも終わり、今度はC.O.S.AとKID FRESINOがラップを続ける。香賀美くんの表情を伺う。香賀美くんはまっすぐ前だけを見つめていた。僕は目をつむる。

 ついたぞ。声がした気がして、目を開けると、香賀美くんの顔がすぐ目の前にあって傘を差し出された。
「どこ?」
 訊くと同時に、あたりを見回す。知っている場所だ。レインボーブリッジ。受け取った傘をさして外に出る。
「性格悪いね」
「うっせぇ」
 ここは2年くらい前、僕が香賀美くんに告白をして、見事に玉砕した、悪い意味で思い出の場所だった。
「大事な話をするときはここって決まってんだよ」
 どこでだよ、とツッコミたかったが、やめる。香賀美くんの表情がいつにもまして真剣だったからだ。
 雨のなか、香賀美くんがタバコに火を付ける。
「やめたんじゃなかったっけ」
「やめるのをやめた」
「なにそれ、ウケる。一本ちょうだい」
 ん、とタバコの箱とライターを差し出される。久しぶりに吸うタバコは、湿気のせいか雑味が混じっていて対しておいしくなかった。
「で、話って?」
「お前はやめたわけじゃねえだろ」
「え?」
「小説」
「ド直球だね」
「答えろよ」
「……そりゃ、諦められるわけないよ」
 夢だったんだから、という言葉は飲み込む。
「じゃあなんで書かねぇんだよ」
「香賀美くんにはわからないよ」
「は?」
 あ、これ、まじでキレてるやつだ、と思ったときにはもう殴られていた。本気で痛くて泣きそうになる。咥えていたタバコが手のひらに落ちてきて、たまらず泣いた。何か冷やすもの、と探すとちょうど近くに水たまりができていたので手のひらを突っ込む。天気の神様、ありがとうございます。
「テメエ」
 追撃来る、と身構えた瞬間、着信が鳴って、あれ?と目を開けると香賀美くんが慌てた様子で受話器越しに何かを喚いていた。
「おい」
「は、はい!」
「帰る。車、勝手に持ってきたことバレた」
 いや、勝手に持ってきてたのかよ、とは云えず、とりあえずこれ以上殴られることはないようで安心した。

 帰りの車内も沈黙。空気は行きよりも重い。香賀美くんは何も云わないし、僕も何も云わなかった。音楽も流れていないので、完全な静寂だった。頬がズキズキと痛んだ。
 何事もなく車がアパートの前に止まって、このまま別れてしまっていいのか逡巡していると、香賀美くんの方から口を開いてくれた。
「ずっとプリズムショーをしてると、たまにわからなくなるんだ。俺はなんのためにこんなことやってるんだろう、って。でも、そのあと、ライブが終わって、満足そうな客の顔を見て、やっぱプリズムショーはすげぇなって思うんだよ。よくわかんねぇけど、俺は多分、マイナスにあるものを、プラスに引っ張り上げたくて、ずっとプリズムショーをやってるんだなって気づくんだ。でも、みんな、そういうもんだろ。俺たちは何かが少しでもいい方向に転がっていけばいいって祈るためにやってるんだろ」
 だから俺にはわからないなんて突き放すなよ。寂しいんだよ。
 それだけ云って、香賀美くんは車を走らせて行ってしまった。

 それから、僕は布団に潜って、何かを考えようとして、だけど何も考えられなくて、そのまま目をつむる。
 明日から会社が始まる。何かを始めたいけど、始まらないかもしれないし、わからない。人の心なんてすぐに揺らぐから、簡単に何かを決心したりはしない。唯一ハッキリしているのは、頬と手のひらの痛みだけだけど、そこに何かを見出したりもしない。
 なんだかひどく疲れてしまった。
 まだ20時にもなっていないけど、とにかく僕はがむしゃらに眠りたくて仕方がない。

 


ハッピーエンド。 - 野崎りこん