いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

10万回∞生まれ変わっても、 ボクはずっとボクになりたい!

働きたくない……。働きたくないですね。でも貯金が3円しかない。3円しかない貯金を貯金と呼んでいいのかすらわからない。それでも働きたくない。毎朝、早くに起きて、身支度をして、会社に向かって……。嘘だろ……。愕然としますね。

先日、近所のお花屋さんで働くことになった僕ですが、決まった時間にお花にお水をあげることができなくてお店のお花さんを全部刈らせてしまったのでお店を追い出されてしまいました。お店の店長さんがめっちゃ怒ってて怖かったです。うーん、上手くいかないですね。それでヤケになってプリパラをしてたら貯金が3円になっていました。あーーー、働きたくない。でも、働きたくないという感情を美徳とする風潮にはいい加減うんざりします。僕は真面目にコツコツ働きたい。普通にソコソコの幸せを手に入れたい。それが無理なら大統領になりたい。どっちかです、世界が選べ。とりあえず最近はMacBookが欲しいです。MacBook airでいいので欲しいです。価格ドットコムで調べたけど3円で買えるMacBook airはありませんでした。調べたらアップル製品ってローンで買えるみたいですけど、働いてないし貯金が3円しかない人間でもローンって組めるのかわからないです。別にMacBook airじゃなくてもいいんですけど、とりあえずノートパソコンが欲しいです。でも、僕、正直コンピュータ?のことってよくわかんなくて、CPUってのがどれくらいのギガバイトあれば高性能なのかわかんないし、どれくらいの無線LANがあればインターネットでアニメをtorrentで落とせるのかわからないです。昔は色々な機種を調べて、比較サイトとか見て、あれこれ考えて自分の用途にあった機種を選んだりするの好きだったんですけど、最近はすっかり考えることがなくなってしまって、もうよくわからない比較表とか見ても頭が痛くなるので、思考停止。とりあえず間違いないはずのMacBookが欲しいです。人間が唯一思考する生物ならば、その思考を放棄することこそが真の人間性なのでは?人は考えれば考えるぶんだけ時間を無駄にしていることに気づくべきです。人間、思考停止してMacBook持ってカフェにいってMacBookTwitterしてそれで幸せなのが一番だと思いませんか?思考停止してMacBook持ってカフェにいってMacBookTwitterしてる人をTwitterで馬鹿にしてそれで幸せなのが一番だと思いませんか?インターネットなら誰かが考えたことをさも自分が言ってるように言うだけで何かを言ってる感じになるから楽ですね。僕のこのブログも全部聖書に書かれてることをそのままパクってきてるだけですしね。

 

未来へ歩く“今日”は 繰り返しのフリしている夢への道

就職することにしました。

ユーチューバーになるとか、小説家になるとか、宇宙飛行士になるとか、SEになるとか、俳優になるとか、お嫁さんになるとか、キラキラ夢はたくさんあったけど、蓋を開けてみれば、僕は近所の花屋で働く青年になってた。もちろん、人生は何があるかわからないから、これから、ユーチューバーになったり、小説家になったり、宇宙飛行士になったり、SEになったり、俳優になったり、お嫁さんになることだってあるかもしれないけど、でも、ひとまず、ここです。ここで、一旦、打ち止め。まあ、花屋だってそんな悪い職業じゃない。どれだけの女子小学生が花屋で働く自分を夢想していることか。ゆめかわ。夢見る自分。でも、僕はもう自分を夢に見ているだけの年齢じゃない。

年齢にあった、其れ相応の生き方をしなくちゃな。

青春はちゃんと終わる。みんながかけがえないとありがたがるほど、いいもんでもなかったけど。

でも、一度に全てが何もかも変わってしまうわけじゃない。

青春はちゃんと終わるって思えてるうちは、きっと大丈夫だ。変わっていくだけで、それは永遠に未来に引き伸ばされていく。変わったりしない。

今は、そうやって自分に言い聞かせるようにしか、喋れないけど。


わーすた / Just be yourself MUSIC VIDEO Smartphone Ver.(The World Standard / Just be yourself)

やる気!元気!寝起き!

新プリパラ面白いですね。夢川ゆいちゃんが可愛いのでプリパラ遊ぶときはもっぱら夢川ゆいちゃんを使って遊んでます。新ブランドのコーデもどれもひたすら可愛いです。新ブランドのコーデに身を包んだ夢川ゆいちゃんを使ってプリパラをしていると、僕と夢川ゆいちゃんの間にどれだけの違いがあるのだろうと考え、するとそこにはなんの違いもありはしないのだと気付かされ、僕は夢川ゆいちゃんになりました。ゆめかわ!そうやって、僕たちはいつだって物語を自分のエゴで歪める。物語が語り手のエゴによって歪められるその一瞬が、僕たちの青春だ。物語を物語る以上、語り手のエゴから逃れる手段はなく、上手い物語とは結局そのエゴをいかに隠すかでしかない。では、どこまで物語を歪めても物語は物語であり続けるのか? 舞城王太郎が『暗闇の中で子供』で行ったのは、それだったのだと思う。『暗闇の中で子供』では、物語の破綻がいよいよどうしようもないところまで到達してしまう。章が変わると人の死因が変わってるし、いきなりリアリティのかけらもない巨人が出てくる。物語のラストは最早なにがなんだかって感じだ。しかし、驚くことにここまで破綻した物語であるのに、『暗闇の中で子供』は物語としての形を保ち続ける。それは愛と暴力とどうしようもない人間たちを描く小説であり続ける。これはどういうことか? 小説は、物語は自由だから、と言ってしまうのは簡単だ。しかし、本当に自由に書かれた物語にどこまでの説得力があるというのか。本当に自由に書かれた物語というのは、例えば幼稚園児が画用紙に描くラクガキのようなもので、微笑ましくあっても、決してそれが僕たちの脳髄を揺さぶり改革を起こすようなことはない。

小説は、物語は不自由なものなのだ。

では、なぜ、不自由な世界で、『暗闇の中で子供』は破綻し、それでもなお、不自由な物語であり続けるのか。たぶん、それは信じる心、つまり祈りからくる語り手の力強さなのだ。一体、誰に、悲しい子供には、嘘でもいいから幸せなハッピーエンドが用意されているべきなのだ、なんていう、純粋な祈りを否定できようか。

物語の強度とは、祈りの深さなのだ。祈りからくる力強い語りによって、黒いものは白くなる。

だから、僕は夢川ゆいとして今日も近くのショッピングモールに行く。ゆめかわ!タッキーの炊くご飯は今日も美味しい〜っ!ゆめ〜!夢川ゆいってどういうキャラでしたっけ。忘れたわ。


アイドルタイム プリパラ デビューセット

アイドルタイム プリパラ デビューセット

歳をとったよ!

歳をとったよ!15歳くらいのときから、歳をとるのはこれが最後になると思い続けてたけど、22歳になった!すごい!15歳の僕に僕が22歳になったってことを伝えても、信じてくれないと思う。この前だって、33歳の僕が、22歳の僕に、33歳になったよ~って言ってきたけど、僕はそんなこと全然信じることができなかった。それくらいすごいことが、毎日のようにどこかで起こってる。それも、生きているたくさんの人に、降り注ぐように。こんなにポップなことはない。今日誕生日の人、おめでとう!明日誕生日の人、おめでとう!それから、ずっと、誕生日の人、おめでとう!

 

さて、僕は祝った。次はみんなの番だ。

 

五月病になりました

しんどいしなんのやる気もでません。五月は僕の誕生日がありますが、健やかに歳をとる元気もないです。21歳のまま身体だけ朽ち果てていこうと思います。五月は他にもたくさんの人が生まれた月らしく、昨日はハハノシキュウの誕生日でした。なのでハハノシキュウのTシャツを買いました。母の日のプレゼントにします。

灰色のダイエットコカコーラ

灰色のダイエットコカコーラ

 

 

いいことがあった日は文章を書く、忘れるから

買い物厨なので毎日何かを買わないと死ぬ。本当の意味で死ぬ。でも、自分の時間厨だから、自分の時間を犠牲にして金銭を得る作業が多大なストレスでまともにバイトもできない。本当の意味で精神を病む。自分を守るために、仕方なくバイトは5秒でバックレるけど、これは現代社会が悪い。働いている人間は全員病人で、病人の数の多さに素直に驚嘆する。みんな病気になるくらいしかやることがないのか……。病人じゃない僕の貴重な1時間は金銭にならない。僕の健常な貴重な1時間はyoutubeとかにこそ費やされるべきで、だからお金は減るばかりだった。

自分を切り売りできないから、自分の代わりに何かを切り売りするしかなく、本棚から適当に本を抜き出して古本屋に電話をかけるけど、その度に、小説というものの、還元率の低さに愕然とする。神々しい箱に入った稀少な全集とか、なんかそういうのではなく、普通にそこらへんの本屋で買えるような小説なんか、誰も欲しがらないらしい。投資家ばかりのこの世界で小説が売れないのも納得だ。本が売れないから、本に付加価値をつけるために雰囲気だけ充実させた本屋が乱立しだすのも納得だ。家にいても本が買える時代に、そこでないと出来ない体験を本屋が追求しだすのも当たり前の流れなのかもしれない。実際、しんどいことに、いざ部屋で埋もれていた本を手に取ると、その本をどこで買ったとか、どういう気持ちで、どういう場所で読んだとか、そういう記憶が蘇ってくる。これは大分しんどい。記憶は身体の外にもある。そこに行ったときにだけ、それに触れたときにだけ蘇る記憶もあるんだなぁって思う。記憶を売るのは大分勇気がいる。

でも、だからこそ、僕たちは本当の意味で身体を失うことはないんだとも思う(それが代替されることはあるかもしれないけど)。なんて明るい未来なんだ……。悲しいことしか文章にできない人間撲滅委員会会員の僕としても、このような明るい、前向きな思考は歓迎すべきことなので、今日はすごい良い一日だったと思う。最近は良い一日ばかりが続くので、多分GWのせいだと思うので、とても嬉しいです。

おわり。

ボディ・アンド・ソウル (河出文庫)

ボディ・アンド・ソウル (河出文庫)

 

 

電子書籍を読むということ

つい先日の記事に完全に電子書籍に移行したい、すべき、というようなことを書いたことを思い出したものの、結局僕は電子書籍端末も電子書籍それ自体もあんまり買わずに普通に紙の本を読んでいたことをまず謝罪します。まるで僕が適当なことを実際に思ってもいないのに書いているなんて、そんな風に捉えられることだけは拒否したいがための謝罪を乗り越えて、僕はここに立っています。しっかりと立っている僕は、あることに気づいたのです。

以前、僕は電子書籍を買い、スマートフォンでそれを読む行為をしたことがあります。しかし、その時の僕は眼前に広がる文字の一つ一つにまったく集中できず、文章は飛ばすわ、文字を読み違えるわ、1ページ読んでアプリを閉じるわ、散々な結果でした。(まあ、文章を飛ばさず、文字を読み違えず、一度もページを閉じることなく本を読み終えたことなど一度もないわけですけど)優秀な僕は、敗因をデバイスにあると考え、つまり、スマートフォンでは、本を読む以外にも色々なことが出来てしまう、そもそもスマートフォンのディスプレイで文字を追うことに慣れていないことにあると考え、電子書籍バイスを買えば、紙の本に近いディスプレイで、本を読むことだけに集中できると考え、Kindleが欲しいとのたまっていたわけですが、ふとその結論に疑問を持つ瞬間があり、それは昨日Kindleでマンガを買って読んでいるときでした。

マンガはなんの問題もなく、夢中になって読める。度々画面の端を占拠するメールの通知を無視して、スマートフォンの小さな、それでいて大きな光を発するディスプレイで。

僕は何かを間違えていると感じました。

そして、そのことについに気がついたのです。

それは、情報量と運動量の問題なのです。

これまで、僕は電子書籍で本を読もうとするとき、文字の体裁はできるだけ紙の本に近づけるようにすべきと考え、小さな文字を、隙間なく詰め込むように設定していました。つまり、1ページに情報量をなるべく多く、そして、ページをめくる作業に費やす運動量は最小になるように。

しかし、マンガの場合はどうかというと、まあ、これはマンガによって差はありますが、基本的には、マンガの1ページに入っている情報は絵と文字で、絵の情報の性質は文字の性質と違っているため、文字を追うのと並行に僕たちは絵を見るため、文字の情報量で考えた時その情報量は少なく、そして、そのぶんページをめくる作業に費やす運動量は多くなる。

それだったのです。

思い返してみれば、僕は落ち着きのないほうで、それはスマートフォンという小さな画面のなかでもそうで、例えばツイッターを開いているときは、意味もなくタイムラインを読み込む動作をしたり、ユーチューブを観ているときは、意味もなく画面をタップしてシークバーを表示させたり……。

つまり、画面に細かく表示された文字を前にして、僕は、我慢ができなかった。スマートフォンで、じっと文字を読むことに、あまりにも僕は慣れていなかった。それはそもそも不可能だった。端末を手にしているのに、指をじっとさせて、文字を追う、なんて、無理だった。

それならば、解決方法は簡単で、1ページの情報量をなるべく少なくして、そのぶん、ページをめくる運動量を多くする。何か、他のことに気が移ってしまう隙を与えないほど親指を動かすようにすればいい。電子書籍を紙の本に近づけるのではなく、紙の本を電子端末に最適化させていけばよかったのです。

ただ、読書には流れのようなものがあって、個人差はありますが、画面に最小限これだけの文字がないと読書の流れが阻害されてしまう、みたいなのがあって、それでなくても、小説や詩などは文字の並び自体に芸術性を持たせていたりするので、あまり極端に文字を大きくしてしまうのも考えものですが、まあ、それは実際に触っていくうちに自分で丁度いいラインを見出していけばいいだけのことです。

ついに、僕は完全な答えにたどり着いてしまった。

ただ、問題があるとすれば、このことに気づいた今日午後六時、僕のKindleライブラリには僕が読むべき文章がなかったということでしょうか。この先、僕が生きて、すると僕の説が簡単にひっくり返ってしまう可能性も充分にある。しかし、今の時点で僕の発見は完全に世界を揺れ動かす大きなものであると自負しているので、まあ大丈夫でしょう。もし、この僕の発見がすでにどこか別の場所で提唱されていたとしても、それは僕のものです。前から後ろに流れていくだけが時間じゃないことを僕が証明する。

 

しかし、もう実際、読みたい本など、この世界のどこにもなく、何か本を読んでも頭のなかはからっぽで、感情はまったく動かず、何も変わらないこの現状で、メディアが別のものになったところで何かがどうなるわけでもないのは確かだった。純粋に何かを楽しめる人を僕は羨ましいと思うし、熱心に何かに真剣になれる人に僕は嫉妬する。何をやっても無駄になる気しかしないし、実際無駄なのに、そのことに気づかず頑張れる狂人や、気づいていて、それでも尚、頑張れる狂人たちに囲まれてる。狂人たちのなかで、もうすっかり何もやる気などないのに、僕は落ち着きがないから、仕方なく親指をスライドさせて、タップして、それで、何がどうなるわけでもなく今日は日が沈んで明日が来る。なんとなく疲れて眠いだけの身体が朝日に包まれる。流れる情報の波を漂う。

 おわり。

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)