いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

大変だね

どうも、研修が終わってついに本当に社会人へと成ってしまうのか!?いとうくんです。研修が終わってしまうので寂しくなって同期の気に入ってる女の子に対してかまってオーラを出しまくってたら逆になんか距離を置かれてしまいました。とほほ。人付き合いって難しいですね。さて、部署内に出回っているいとうくんの自己紹介シートの趣味の欄に読書とあるのに今月に入って一冊も本を読んでいないことに気づきこのままでは趣味の欄が詐称になってしまうのではと怖くなって本を読みました。山内マリコさんの『選んだ孤独はよい孤独』です。帯に「女のリアル」の最高の描き手・山内マリコが「男のリアル」をすくいあげた新たなる傑作!とあって惹かれて買ったやつです。短編集だったので3秒くらいで読めました。感想は……当たり前だけどみんな大変だなぁ、と思いました。あまりにも当たり前すぎてもうその言葉からはなんの意味も汲み上げることもできなくなってしまったけれど、性別とか、年齢とか、学歴とか、生まれとか、そういうの関係なく、みんな大変なのです。そして、小説の役割はみんなが大変だということをたった一つの生しか生きることのできない僕たちに、伝えることにあります。みんな大変だということを、みんなが語ることで、僕たちに伝わるのです。ありがとう小説。ありがとう物語。ありがとう、すべての書き手に――。

おわり。

選んだ孤独はよい孤独

選んだ孤独はよい孤独

 

 

僕たちは若く、まだ若く、そして若い

今年のダービーが終わりましたね。何週間も前から、何を買うかなんてとっくに決まっていた。ダノンプレミアムの単勝。それとおまけ程度に3連複。なんの疑念も不安も問題も感じていなかったと言えば嘘になる。怪我による休養明け。皐月賞を通過していないし、前走から距離だって延長している。でも、それ以上に期待が大きかった。期待?レース開始のファンファーレが鳴ったとき、僕は馬券を握りしめながら、何を応援していたんだろう?ライブ会場で可愛くもないアイドルを応援する人たちを見て、結局性欲だと嘲笑う人が一定数いることを僕は知っている。競馬場で周りの目も気にせず声を張り上げる人たちを見て、結局お金だと憐れむ人が一定数いることも、僕は知っている。ダービーの着順を見るたびに喉の奥がひりつく。僕がダノンプレミアムの競走実績に見ていたものは、性欲やお金よりももっと不純で薄汚れたものだった。キーくんもてめぇじゃ走んないで賭けた馬は負けって言ってる。来週の安田記念はボックスで買います。

おわり。

俺は23になってた ここに立ってた

23になりました。ていうか、なってました。もう何もわかんねぇ……。一年になんの意味もなくなってきた。段々歳を取ることに鈍感になってくる……。誕生日プレゼントのつもりか今週は明日も出勤です。わーい。来週も明日は出勤です。うれぴ〜。社会って案外ちょろいですよね。中学校とかのほうがよっぽど大変だった。

おわり。

キラッと あこがれキラキラ 叶えるチャンスだよ

どうも〜、いとうくんだよ。好きな言葉は健康第一。嫌いな言葉は不労所得。毎日わりと幸せ。こんな生活ならあと60年は続けていけそうです。唯一の悩みごとといえば、未だに前の住人宛の郵便物がポストに届くことくらいかな。でも、どうしちゃったんだろう、管理会社にはちゃんと電話して、配達止めてもらうように頼んだのに……。他人宛の封筒を勝手にゴミ箱に捨てるのはなんかちょっとウケます。いいかい。僕はいとうくんなんだ。しんかいさんじゃあないんだよ。だから、ポイッ。OK。力関係はハッキリしてる。夜中にアパートの階段を駆け上る音はなんだ?OK。僕はいとうくん。僕の生活はあと60年続く。毎日はわりと幸せ。好きな言葉は健康第一。嫌いな言葉は不労所得。何も見失ってないし、変わってない。人生120年。肉体は死んでも、魂は残る。僕はこの部屋に住み続けたいし、住み続ける。戒名に「いとう」の「い」くらいは入れてもらいたいと思う。でもそれだけじゃなんだかあんまり何もないですね。

おわり。

今日もお風呂に入りました

ふと、昔に相棒で杉下さんが就活生たちに、個性を競うはずの場でみな同じ格好したがるのは何故だ、というようなことを言っていて、ちょっとガッカリしたのを思い出しました。そういう、定型文みたいなこと言って何かを言った気になるような人が、大嫌いなんですよね。しかし、この僕の定型文みたいなこと言って何かを言った気になる人はきしょい、という言葉も一つの定型文だしきしょいよ、と言われると確かに、と認めざるを得なく、そして、その否定意見すら一つの定型文でしかないよと言われるとそのとおりで、つまり、終わりがないんですよね、こういう思考には。メタ視点を持つことは大事ですけど、メタ視点はどこまでも広がっていく袋小路でしかなく、その先を追い求めていると人生のほうが先に終わってしまいます。なぜそのようなことが起こってしまうのかというと、それは言葉の持つ、なんとでも言えてしまえる、という性質によるものなのですが。というようなことは千葉雅也の本にも書いてあった気がするし、歴史を見ても、メタ視点を持ち込んだ結果、真実を保証できなくなってしまった一時期のミステリなんかがそのことを証明しています。なので、僕たちにはいい加減なところでメタ視点を放棄することが求められてくるわけですが、では、そのタイミングとは?その答えを漫画『ムーたち』に見つけました。『ムーたち』にはセカンド自分、サード自分……という概念があって、これは自分を客観的に見つめるもうひとりの自分、を客観的に見つめるもうひとりの自分、というメタ視点を可愛く描いたものなんですが、ではそれを可能とさせるのは何か、というと、それは個人の意識の量なのです。つまり、言葉が実態のない、どこまでも広がっていく曖昧で無限な存在であろうと、それを操る人間の存在はひどくはっきりとした、有限な存在であるということです。お前のその言葉は、リアルか、フェイクか?ということです。ヒップホップですね。メタ視点によって産まれたその言葉に、お前の魂はきちんと込められているか?ということです。それが出来ていないのなら、僕たちはそこで立ち止まって、じっと考えればいいわけです。何か言いたいことが見つかった。さて、それはリアルか?フェイクか?自問自答こそが唯一の道。そういうことです。

というようなことを考えていたんですけど、なんだかこうして形にしてみると、どこかで読んだことのあるような感じの文章になっている気がして、僕は僕の言葉がリアルなのかフェイクなのかちょっとわからないです。困ったなぁ。

ウソを暴け!

先日新宿のスターバックスで胡散臭げなビジネスの勧誘現場に遭遇してから胸のモヤモヤがとれません。なんなんだ。なんで、なんでそんなベタなことができるんですか?その、なんていうんだろう、そういうのって、恥ずかしくないんですか?そんなの儲かるわけないじゃん!!!なんなんですか、好きなことやって生きたくなったんですか?夢見がちなんですか?えっと、夢ってのはね、他の誰かの笑顔のために見るものなんですよ!可哀想……。僕が思うに、みなさん、ユーチューバーとかの動画をきちんと真面目に見てないんじゃないですか?ユーチューバーの動画をちゃんと見ましょう。あと本を読みましょう。小説を読みましょう。歯を食いしばって懸命に生きる姿が一番美しい。みなさんはそういう泥臭い生き方を嫌うかもしれませんが、はじめしゃちょーだって歯を食いしばって懸命に生きてます。根性のあるやつが一番輝く。みなさんは、そういう根性論みたいなのを嫌うかもしれませんが、世界は人々の心の運動の連なりが作り上げていている以上、根性はある程度は有用です。みなさんは自分が嫌い(だと思い込まされているもの)を過剰に排除しすぎです。そんなんじゃダメダメですよ。あまあまちゃんです。本当に排除すべきは自分に心地よい言葉の方です。人です。本当に聞く耳持つべきなのは、その逆の言葉の方。耳障りの悪いことばかり話す人です。つまり、僕。僕が導きます。僕が、みなさんを、正しい道へ導きます。まずは僕と一緒に競馬場に行きませんか?歯を食いしばって懸命に競馬新聞を睨みつけ、無数の因果の細い糸を根性のみで手繰り寄せる。そういう人生も結構美しい。

卒業は終わりじゃない、新しいはじまり

って記事を書こうとしたらもう書いてました。(http://ito-67890.hatenablog.com/entry/2017/08/10/230732)え、うそ、僕、予言者だったの……。びっくりぽん。
でも、どうだろう。卒業する実感が全然沸かないだろう、と僕は予言しているけど、自分が大学生だったって実感の方が、今の僕からはほど遠いものになってしまったような気がする。今の僕は、東京都に住む、なにか。いとう。等身大。ただ一人の。
そして、記憶にも残らないような平凡な日々が、1日と1行が等価な日々が、超展開も感動も幸せもないような日々が、実は結構記憶に残っていたりする。
うーん、自分のことながら、予言なんてあんまりあてにならないなぁ。
まあ、ちょっぴり泣いちゃったところだけは当たってるみたいだけど。

おわり。