いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

世界①

僕(いとうくん)はちょうど読み終わったばかりの『きみとぼくの壊れた世界』を放って改めて布団にくるまった。なんて寒さだ。まだ外の景色を見ていないからわからないが、今日は雪が降るらしい。まあ、こんな日の早朝から起き抜けに読み残していた小説のエンディング部分を読むというのも悪くはない。そこから、今度は二度寝に突入しようというのだから、三連休の出だしとしては及第点といったところだろう。うーん、しかし。たしかこの小説を前に読んだのは僕が大学1回生の頃で、あれからすっかり時間が経っているとはいえ、こうまで内容を覚えていないというのは、まあ毎度のことながら、自分にがっかりせざるを得ない。なんで、こうもポンポンといろいろなことを頭の中から抜け落ちさせてしまえるのか。我ながら情けなくなる。おかげさまで小説を読み返すたびに新鮮な気持ちで楽しむことはできるが……。『きみとぼくの壊れた世界』にしたってそれなりに楽しめた。僕は決して西尾維新の良い読者とは云えないけれど、世界シリーズについては好意的なつもりだ。一番好きな小説は『少女不十分』だけど。唯一最後まで読んだシリーズは戯言シリーズだけだけど。しかし、西尾維新も腐ってもメフィスト賞作家。ミステリについて書かせるとやっぱ気持ち悪い。でも読み返してみて僕が一番印象に残ったのは病院坂黒猫の援交だろう。そういうのには弱いんだよ。モロ性癖なのだ。

日記です

たくさん本を買った。たくさん、と書くとバカな人たちがたくさんってどれくらいですか〜???とバカにしたような目で訊いてくる。本来ならバカの相手をしている暇なんてないが、それではバカの人たちがずっとバカなままでそれはあまりにも忍びないので特別に僕は回答する。本をたくさん買った、というときのたくさん、とは2冊以上のことを指します。おめでとう!これは日記です。まず土曜日、朝早くに目が覚めたので駅前の本屋へ。『火事場のバカIQ 申』(榎本俊二と木下古栗の共通点について考えさせられる)と『ものするひと②』(漫画はすごい)を買う。帰り道に古本屋で『死が二人をわかつまで』(青春)『その可能性はすでに考えた』(青春)『死刑』(たぶん読まない)『現実宿り』(坂口恭平って誰なんだ……)を買う。その後ライブを観に行くために下北沢へ行く前に新宿紀伊國屋へ行く。『アオイホノオ⑳』を購入。下北沢までの電車のなかで読む。細野不二彦って誰なんだ……。ホノオくんが漫画家になってから感情移入が難しくなってしまったのがかなしい。下北沢では『絶対安全文芸批評』(佐藤論が載ってたので)『書くことについて』(王の言葉)『化石少女』(麻耶雄嵩って誰なんだ……)を買う。カバンが重くなる。京都に帰りたくなる。京都に住んだことなんか一度もないのに、京都に住んでいた記憶だけはしっかり残っていて混乱する。頭の奥にある、鴨川の橋の下で殺人鬼と一晩語り合ったこの記憶はなに?混乱しているとライブが始まる。生まれてはじめてMCバトルを生で観た。みんなうまくてびっくりした。想像以上にたくさんのラッパーがいたことにもびっくりした。すごい。このなかを生き残っていくのは大変だ、と他人事ながら思った。ま、ヒップホップに限らず、どこも似たような状況なわけだけど。需要に比べて供給が多すぎる……。終わったあとハハノシキュウと少し話せたのでよかった。わーい。でもタバコの煙がすごくて体調が悪くなったので瞬時に帰った。夜は明けて日曜日。映画を観るために渋谷に行く。映画は埋まっていて観れなかった。予約というものができないので足を運ぶしかない。まんだらけで『火事場のバカIQ 午』(天才)『火事場のバカIQ 羊』(鬼才)『All those moments will be lost in time』(西島大介の本はおもしろいのとおもしろくないのの差が激しい)『あどりぶシネ倶楽部』(細野不二彦って誰なんだ……)『もう安心。』(とり・みきの漫画は一冊だけ読んだ記憶があるけどなんてタイトルだったか覚えてない)を買う。それからKOHHVRのやつを観る。KOHHと目線があってドキッとした。上下に椅子が動いて怖かった。人が多すぎるので中野へ。ここも人が多い……。まんだらけで『手品先輩①』(おっぱい)『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション⑤』(どんな話だったか忘れた……)『つるつるとザラザラの間で①』(青春)を買う。腕が痛いので一旦荷物を家に。それから銭湯に行く道中に『おはなしして子ちゃん』(芥川賞作家)を購入。少しだけお酒を飲んだら眠たくなったので帰る。そして、眠る。朝になって目が覚める。嫌だなと、うだうだ10分くらい布団のなかでウェブマンガを読む。外は寒い。でもずっとこうしているわけにもいかないし、もういい加減起き上がらなきゃなと思いながらも起き上がれずに、週末に買って積み上げられたままの本たちを眺める。ただ本を買っているだけで、買った本は一冊も読んでないし、読む気もない。お金を使うことで心の隙間を埋めているだけで、何に消費するかはそこまで重要なことではない……。ただ消費するためのお金を今日も稼ぎに行く僕はまだ布団のなか。

イキルキス読んだ

僕にとって舞城の最高傑作は『煙か土か食い物』でも『ディスコ探偵水曜日』でも『世界は密室でできている』でも『九十九十九』でも『淵の王』でもなくて『ビッチマグネット』だと思っていて、僕は舞城王太郎が《名探偵》や《密室》や《サーガ》や《見立て》や《九十九十九》や《暗号》や《推理》やそういう過剰な道具を一切排除して舞城王太郎が書いてきた小説を、ずっと伝えてきたことをちゃんと書いていて僕は感動してしばらく呆然としていて今でも読み返すたびに同じ感動に包まれる。それから舞城はそういう普通っぽくて通的っぽい短編や掌編や長編を舞城王太郎ファンも呆れるくらいの数量産して僕もその退屈さにどれがどれでどういう話だったのかなんてまったくわからなくなってしまうけど、やはり読むたびに感動はあってその感動が別の短編を読んだ時と同じような感動であったとしても僕はまあ満足する。してしまう。好きだ。好き。退屈だったり通俗的であってもそれは決して退屈でも通俗的でもなくて本当は僕はそこから色々なことを学んでいて、楽しい。おんなじようなことの繰り返しなのは舞城王太郎が《名探偵》や《密室》や《サーガ》や《見立て》や《九十九十九》や《暗号》や《推理》でしか語れない本当のことを語ってきたように、退屈で通俗的でおんなじようなことでしか語れない本当のことがあるからなのだ。というようなことを考えながら『イキルキス』に収録されている「パッキャラ魔道」を読み返してまた同じところで感動して泣いてしまう。それは最後のお父さんの演説のシーンで、そのあとの長男の合唱のシーンで、最期の最後に語られる小説観で、でも僕はそのずっと前から、前の前の話「イキルキス」からすでに感動していてもうよくわからない。何がなんだか結局よくわからなくて、もしかしたらよくわからないフリをしているだけかもしれないとすら思う。言葉にしてしまうと単純化され陳腐化され通俗的に感じられて、僕にはまだそれに耐えうるだけのものがなくて、だからわからないフリをしてその何かを言葉にしないようにしているだけかもしれないけど、僕にそれを断言してしまえるだけの力すらない。僕は弱い。弱くて、か細い。何も言い切れなくて、何も決めきれなくて、何も行動できない。か弱い23歳だ。弱いだけの23歳だ。小説からしか何かを学ぶことができなくて世界への興味が希薄で仕事もできない23歳だ。これから色々なことを学びたいし経験したいし知りたいと思っている23歳だ。そしてもちろん生きていれば嫌でも学ぶし経験するし知る。だから安心して横たわる、僕の魂。

男神乱舞

まさかこの歳になって『古事記』を読んで感動することになるとは思わなかった。訳者は海猫沢めろん先生。この本が発売される前からずっと、海猫沢めろん先生の『古事記』、買わなきゃ、という思いはあった。しかし、本屋に行くと決まって記憶喪失にでもなったかように『古事記』のことを忘れてしまうのだった。僕の人生と、ボーイズラブや、『古事記』は、距離が少しだけ遠いのがいけないのかもしれない。そりゃ僕だって、女と女が絡むよりは男と男が絡んでいるほうがずっと好きだし、本屋で平積みされて映画にもなっているような本を読むよりは『古事記』を読むほうがずっとかっこいいと思うけど、でも、男と女が絡んでいるほうが興奮するし、ヒップホップを聴いているときのほうが痺れる。

なので昨日、海猫沢めろん先生の隣でビールを飲みながら、アッと思い出すまで『古事記』のことはすっかり忘れていた。ちょうどその日は紀伊國屋書店で何冊目かの『左巻キ式ラストリゾート』を買っていたのに、『古事記』のことは忘れていた(僕はいろいろな人に『左巻キ式ラストリゾート』を配るのが趣味なので欲しい人がいたらあげます)。

僕はすぐに紀伊國屋書店に駆け込み、どこの棚に『古事記』が置いてあるかもわからないので店員の人に頼み持ってきてもらい、買いました。自由な通勤時間に読みました。

以下、感想。

よかったところ

・読みやすい(正義)

・読んでいておもしろい(大正義)

・『古事記』が好きな人が怒り出しそうなところ(『古事記』が好きな人なんて、まさかいないとは思うが)

・歌の訳がかっこいい(狂気のなかにいる俺)

・あとがきがかっこいい(泣いた)

わるいところ

・キャラクターが多い(覚えられない)

・キャラクターの名前が難しい(覚えられない)

・展開がはやい(覚えられない)

点数で云えば百点です。仕事でつらいことがあったけど帰りの電車でこれを読んで元気になりました。『古事記』を訳しても海猫沢めろん先生の小説になってしまうところがすごいと思いました。明日もはやいのでもう寝ようと思います。(本当なら僕だってもっとうまくって、みんなが読みたくなるような感想も書けるんですが、月曜日からすっかり疲れてしまって眠たいことと、上手いこと云った風の感想ばかりが横行する現代インターネット社会への反抗としてこのような形式を取りました)山なし落ちなし意味なし。

BL古典セレクション(2) 古事記

BL古典セレクション(2) 古事記

 

 

あけましておめでとうございます

その日は久しぶりに銭湯に行かなかった。冬は寒い。とくに陽の沈んだあとは。新年があけても相変わらず忙しくて行き帰りの電車しか自由な時間がない。家に帰ると食事や洗濯といった繰り返しの営みがあってうんざりする。

新年になって変わったこと。

・銭湯に飽きた。

・高校生の頃からつけていた読書ノートをつけるのをやめた。

・電車のなかで本を読むようになった。

以上。

まず、銭湯に飽きた。毎週末、汚い脱衣所で服を脱いだりおじさんに混ざって熱すぎるお湯に浸かったり声の大きい大学生に眉を潜めたりすることにうんざりしてしまった。来週もここで僕は自分を慰めるのかと思うと、ちょっとゾッとするようになった。哀しいけど、全てのものは終わる。もうお湯に浸かることはありません。ここまでです。

同じように、読書ノートも終わった。本を読んだあとにペンを取るのが億劫だし、ノートを取り出すのも面倒だし、何より手書きで文字を書くということがまったくできなくなってしまった。漢字とか出てこんし。表紙の作者名とかじっくり見ても間違いなく書けてる気がせん。線とか点が足らん気がする。疲れるのでやめました。だから、今、たとえば僕が死んだら、僕が最後に読んだ本は石丸元章の『SPEED』になってしまうが、今のところ死後のことにまで責任を持つつもりはないので問題はないです。同様の理由から僕は部屋に転がる、いつつせ『ばっびゅ〜ばびゅばびゅ』もシオマネキ『公然ワイセツ彼女』もえいとまん『本能』も今すぐどうこうするつもりはない。放っておく。そこに僕の責任はない。

電車のなかで本を読むようになった、というのはそのままの意味です。最近本を読む楽しさに目覚めました。今ハマっている作家は西尾維新伊坂幸太郎です。よろしくお願いします。次は芥川龍之介とか読めたらいいなと思っています。本は全部torrentで落としました。漫画とかも漫画村で読んでます。

さて、2019年は飛躍の年にしたいですね。月並みで申し訳ないですが。当たり障りもなくて本意ではないですが。2020年はオリンピックに出たいのでそれなりに急がないと僕はいけないんだよ。

つづく

ここは寒い

玉川上水沿いの道をずっと歩くといつの間にか周りが森の中になっていてそれを抜けると家とかがあってその先に学校があった。そこで立ち止まって、川のなかをじっと見つめるけど、僕の姿はどこにもなかった。諦めて暗くなった井の頭公園を歩いた。なんの頼りもなかった。どこからが井の頭公園なのかも正直よくわかっていなかった。だから、今、歩いているここが、井の頭公園かどうか、本当のところ、僕は知らない。歩くと、たまに人がいた。人がいないときは、どこにも人がいなかった。寒かった。足元がとくに冷たくなっていた。足を動かすのがしんどかった。風が容赦なく吹いた。頭が痛かった。あんまり昨日とかの記憶、なかった。悲しい。人がいた。いた気がする。かなしい、ということについての小説を読んだ気がした。あんまり昨日とかの記憶がなかった。

頭が痛かった。

お風呂に入って20分も経たずにあがった。気持ちが悪くなったからあがった。治っていた気持ちが悪いのがぶり返してきた、と思った。だからお風呂をあがった。20円入れてドライヤーで髪を乾かした。夏だったら、タオルでばあああって髪の毛を吹いて、それで外に出ちゃってたけど、今は寒いからドライヤーを使うようにしている。パンツを履きながら、本当はお風呂に入る前にスターバックスで本を読んでいたことについて考えた。だけど本の内容を忘れてしまったから、そのことはあえて書かないでおこう、と決めた。結局書いてしまった。

お墓にお参りに行くと、小学生のとき、お盆で、死んだおじいちゃんの仏壇の前で新しいビーダマンがほしいです、お願いします、とお願いしたのを思い出す。なんで僕たちは死者に向かって祈るんだろう?ビーダマンがほしいのなら、死んだおじいちゃんじゃなくて、生きているお父さんやお母さん、せめておばあちゃんに頼むべきだと思うんだけど。

僕たちはつい、必要以上に、感じてしまう。死ぬ、ということについて。死んだ人、というものについて。

玉川上水の横を歩く前に僕はお墓参りに行った。お墓に行く道がわからなくてまわりをウロウロしてしまった。足が冷たかった。指先がかじかむからポケットに手を突っ込んだ。耳が破けてしまわないようにフードを被った。寒かった。こんな日に、川に飛び込んだら死んでしまうな、と思った。もちろん、こんな日じゃなくても。

流れる水は冷たい。

正直何も感じてなんかいなかった。たぶん。自分の感情に自分で判断がつけられるってのなら、人はここまで苦労しない。苦悩しない。そういうシステムに感謝する。

お墓の前で、あんまり人の悪口とか言わないようにしたいです、と祈った。死者に向けて祈っているように見せかけて、実は僕の心に向けて祈っていた。たぶん。はっきりとしたことはわからない。相変わらず周りに人はいなかった。どこにも誰もいないから誰のことも悪く言う必要はなかった。如是我聞。

「将来どうなりたいとか考えたことある?」と聞かれて僕は今ここにあるのがその将来なんじゃないのか?と思った。もうどこにも行けないんじゃないのか、僕たちは。「やりたいこと並べていったらオレは自由に使える時間が欲しいんだなってわかった」「その人たちに出会ってわかった」「通勤時間も本読むようにしてる」「自分がどうなりたいかだよな」で、お前は誰?ファック。死ね。「いとうくんは残業したりして責任ある仕事任されてるかもしらんけど、オレは、」と語る自信なさげな瞳だけが妙に記憶に残っている。

あとは忘れた。

僕は強い。

それからその人とは会っていない。どうなったのか、今も会社に残っているのかもよくわからない。終わったことだった。全部終わった。大好きな馬はもう走らないし、好きだったアニメは6年も前に終わっている。現場に残留することが決まったその日の飲み会で課長は僕に「目標は来年までに同じ現場の先輩を超えること」と言っていたけど、結局半月後にはその現場を離れることになった。気づけば25歳になっていた。もう戻れない。やっぱりどう足掻いたって今、ここにあるのが僕の将来なのだ。夢も、未来も、もうないのだ。

そのことに気づいているだけ僕は利口だ。

同じ時期に会社に入ったあいつは小説家になると言って会社を辞めていった。高校の同級生は今でも俳優になりたくて売れない演劇に出演してるらしい。飲み屋で知り合ったおじさんは40を超えてもまだ売れないバンドをやっている。みんなもう終わっているのに、誰もそのことに気づいていないらしい。

アホらし。

死にさらせ。

僕はコツコツと働いていた。次の現場は前と違って厳しいところで、休みを取るには理由がいるし、同じことを何度も訊けば怪訝な顔をされる。15分前に席についているのは当たり前で、朝会の前に声を揃えて挨拶をしなくちゃいけない。僕はすぐに慣れる。要領も前の現場ですっかり身につけていたからすぐに色々なことを任されるようになる。社会に自然に溶け込んでいく自分に少しだけ失望を覚えるが、すぐに忙しさに埋もれてどうでもよくなる。

何かに悩んでるやつはバカ。僕は悩まない。身体を動かす。走る。自分の時間なんてない。けど幸せだ。

しばらくそんな生活が続いて、ラインのメッセージが来る。しばらくぶりの同級生から。「今東京だっけ?今度そっち行くから飯行かね?」僕はしばらく迷ってから、その日は仕事があるから無理、と返す。今度地元帰ったら飲もう、とも。もう2年くらい地元には帰っていない。連休の記憶がないのはどういうことだ?違う。そういうことが言いたいんじゃない!!!!本当に悲しくなる。早く仕事に行きたい。働くのがつらいとかほざいてるやつは本当にクソだと思う。誰もが病んでる。まともな人間が僕しかいない。勘弁してくれ。クソとクソとクソに塗れて僕だけが1人だ。やめろ!!!!!同情するな、頭がおかしくなったんじゃない。おかしいのはお前らだろ。働くのが嫌とか、働くのが楽しいとか、アホか?????死ねよ。本当に死んでくれ。全員死ね。いなくなれ。感情を持った全てがなくなれ。黙祷。結局こうなるのか。どこにいても人が何かを語ることが僕は許せない。許せない。許せない。勝手に僕のことを決めて語る人が許せない。誰にもわからせない。何も辛いことがないのに全部嫌いでしょうがない僕の気持ちは誰にもわからない!!!!!!!!!!!!幸福に包まれながら全く満たされない僕のことなんか!!!!!!!!!!!クソ。僕だってわかりやすく社会から弾かれたかった。わかりやすくトラウマになるような事件に出会いたかった。何もないんだもんな!!!!!普通に人生を歩んでるよ。仕事楽しいよ!!!!!クソが、マジで死ねよ。こんな苦悩もこの世界にごまんと溢れていて誰も僕に気づかない。あの馬はまだよかった。メンタルに問題があるって、ちゃんとわかってくれる人がいた。僕は?「君はのらりくらりうまく人生進めていくタイプでしょ」は?????もう嫌だ。もう何もかも嫌だ。誰とも喋りたくなんかない。誰とも何も共有したくない。僕はしいたけになりたい。あまりにも何もかもがどうでもいい。どれだけの人がわかってくれるかもわからないが、僕は小説家になりたかった。小説を書く人になりたかった。本当に。真剣に。今、僕は毎朝通勤電車に揺られている。埋もれていく。幸せだ。幸せでしかない。もうどうでもいい。明日死んでもいい。本当は死にたくなんかない。僕の感情が僕はわからない。ここまで誰も読んでないことを僕は知っている。誰も!!!!!誰も僕の文章を読んでいない!!!!!誰も!!!!!!!もうどうでもいい。僕はどこにも届かない言葉を吐くだけのオナニー狂いのウンコ。精神に障害を持たない障害者。言葉にならない憤りだけが僕を動かす操り人形。みんなに尊敬されたかった。みんなを生きてるだけで悲しい気持ちにさせる存在になりたかった。明日から三連休だね。誰か僕と遊んで、僕の心臓はずっと動いていて誰もそれを止めようともしない。