いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

芥川賞になれなかった小説を読みました

少し前に芥川賞候補になった『ビニール傘』を読みました。社会学者の岸なんとかさんの小説です。お恥ずかしながらそちらの分野には疎いもので、初めてお聞きするお名前でしたが、すごいですね、お上手です、小説が。

街があって、その街に住む人々がいれば、小説は出来上がるんだということがよくわかります。でも、なんだかちょっと暗くて好きになれなかったので50点。

僕はこの本で感動した文章を引用したり、読み返したりしながら感想を書きたいのですが、あいにく読み終わった本をどこかに置いてきてしまったので、記憶だけを頼りに話していきます。

まず、表題作の「ビニール傘」はかなり面白く、何が面白いかというと、顔を与えられた語り手がいないところが面白かったです。

小説の冒頭で、髪が地味な水商売の女を乗せ北新地へ向かうタクシードライバーが俺として語り、しばらくして一行の空白の後、あー、髪が地味な女と遊びてー、と思う俺が出てきて、あれ、と思っているうちに、タクシードライバーってどうなんだろ、でも俺運転できないからなー、という語りがあって、あ、この人はさっきまでの俺とは違う俺なんだな、と読者にわからせる手際もなかなか上手いです。

そこで、読者はこの小説にはまず、大阪という街があって、そこに住む俺たちの小説なんだな、というふうに想像することができます。で、実際そういうふうに、コンビニ店員だったり、日雇い労働者だったりする俺が語り出して、でも、その語り口の雰囲気や、俺の目に飛び込んでくるカップラーメンのゴミや港の風景はみんな同じなので、なんだか、ぼんやりとしてきて、そこで改めてこの小説はすごいなぁ、となるわけです。そしたら、いつの間にか語り手は私になっていて、しばらくすると布団のなかに潜り込んでくる犬のイメージになって小説は終わりました。

この小説で語ることとなった私と俺はどこかで関係しているか、もしくは関係していなかったはずで、しかし、どの俺と関係していたのか、していなかったのかは語られることなく、小説は終わっていき、街に無数に転がる可能性と、その可能性の空虚さっぽいことを胸に残していくので感動します。すごい。文章もとても上手いのでいいなぁ、と思いました。でも今は黒い髪の水商売の女の話を聞いてやりたいって気分じゃなかったんだよなー。出会う時期を間違えました。

次に、「背中の月」ですが、こちらは、いわゆる虚と実が入り交じるよくあるあれで、大阪の侘しい情景やそこに暮らす人の感じを書くのが上手いので、そういうのが組み合わさってなかなか没入感のある作品になっていました。寂しいなぁ、ってなりました。すごい。でもつまんかったですね。

全体としてはかなり面白かったのになー、 ちゃんと好きになってあげられなくて悲しい。唯一、ちゃんと好きになってあげられたところは、ページに対して文字が少なく、そのうえ大阪の風景写真なんかを挿入してなんとか単行本の体裁にしていたところで、こういう、作者や編集者のごまかしみたいなのって、小説に書かれていることよりもずっと本当のことのように感じられて、僕は好き。でも悲しいことに、もうそのジャンルには中原昌也という先駆者がいるんだ……。彼はページに対して文字を少なくして、写真を挿入して単行本の体裁にしただけじゃなく、後ろに自分の音楽CDをくっつけて2000円くらいの値段にしてたよ……。かなわないね。

なので、本を読んだ僕は、本を閉じて、50点かなぁ、と呟きました。30点だったかもしれない。呟いてすらなかったかもしれない。

どちらでも良い。すべては作り話だ。遠くて薄いそのときのほんとうが、ぼくによって作り話に置きかえられた。置きかえてしまった。山下澄人大好き。

おわり。

しんせかい

しんせかい