いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

競馬、飽きた

どうも、サトノクラウンです。みなさん、宝塚記念、お疲れ様でした。悲願の優勝を果たしたミッキーロケット、おめでとうございます、朽ち果てろ。死力を尽くしたものの惜しくも勝つことの出来なかった他の馬の骨ども、ザマアミロ。そして、なにより僕に賭けてくれたみなさん、ご愁傷様。これは僕なりのテロリズムだ。いや、八つ当たりといった方が正しいのかもしれない。
競馬、飽きた。
いや、正しく表現すれば、拗ねていると言うべきなのかもしれない。僕は無意識のうちに僕のこのひねくれた根性を美しく表現しようとする癖がある。まあ、でも、そこまで含めての、この僕、サトノクラウンという馬なのだから勘弁してほしい。6歳の僕の人格はもう形成されしきってしまっている。今更どうしようもないんだな、こればっかりは。
僕のテロリズムを決定づけたのは忘れもしない、去年秋の天皇賞だ。
僕は本物を目にした。
いくら走っても走っても追いつかない。縮まらない。道悪のなか、壮絶な競り合いを制したのは僕じゃなかった。いや、ここでも僕は表現を間違えている。あれを競り合いと呼ぶべきじゃない。あれは、あれは一方的な競馬だった。追いつけない、と思った。永遠に。
僕は本物を目にした。間近で、すぐそこを走る姿は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
いや、それだけならいいんだ。それだけなら、まだやれる。そりゃ、僕が一番じゃないなんて、本物じゃないなんて、ショックだけど、でも、僕だってもう夢見るだけの年頃じゃない。自分の立ち位置ってのを高く設定して自滅するようなアホじゃない。
本物とやって、負けた。でも、それは一つの結果だ。一度負けて、それで拗ねて走らなくなってしまうほど、僕は子供じゃない。
決定的なのはその後にやってきた。
あろうことか、僕と、本物との競馬は、あらゆる人の心を打ってしまった。感動した、との声。その年一番のレースだ、との声。
僕の全盛期のレース、との声。
想像してほしい。
全盛期として語り継がれるレースが、負け試合という事実を。
永遠に2着として語り継がれる運命を。
道化役うますぎて助演男優賞受賞しそうな。
あまりにおかしくてずっと笑っていたら次のジャパンカップでは掲示板にすら入れなかった。それどころか、2桁の着順。
やる気を失ったね。
さようなら、僕の競馬人生。
お疲れ様でした。もう、走れません。
今の僕には、走る意義も意味も意思も義理もない。終わり。
それでも、それなのに、僕に期待の眼差しを向ける調教師が憎い。僕を信じて僕に跨る騎手が憎い。僕の走りに期待して大切なお金を投げ捨てる人々が憎い。
本物が引退して、もう本当に永遠に彼を追い越すことが出来なくなってしまったのが唯一の救いだ。もう、夢を見る必要すらない。
叶わないんだ。敵わないんだ。ほっといてくれないかな。
だから、僕は全ての人を裏切り続ける。
馬という、ただ走るだけしか出来ない生物である僕なりの、これは、テロ。
憎むべき全ての人間へ向けた、ささやかな犯行。
でも、それもきっと長くは続かないんだろう。宝塚記念での僕の人気を見ればわかる。
やがてみんな僕に期待するのをやめて、僕はひっそりと競馬界から姿を消すことになるのだ。そこには、期待に応えるチャンスも、期待を裏切る意義もない。ちょっとばかりのファンが、ありがとう、と便利な言葉で僕の引退を自然に受け入れていくだけだ。それは何も無いに等しい。それなりに強かった平凡な馬が平凡に掴むことのできる、平凡な日常。
結局僕は何者でもなかったのかもしれない。でも、何かが間違ってそれなりに強くなってしまった。まるで喜劇だ。一生のうちG1を一度でも獲れる馬がどれだけいる?僕は強かった。だから、期待してしまった。だから、負け試合が全盛期であることが許せなかった。でも、それは全部僕が弱いからだ。
みんな、どういうふうにしてるんだ?こんな、こんな……馬鹿馬鹿しくならないのか?
わからない。
永遠にわからないんだろう。
僕は、強く、しかし、強くなく、かといって、弱くもない。何でもない。このまま終わる。
だから、みんな、もう僕に期待するのはやめてくれないかな。みんなが期待するから、僕はいつまで経っても僕を見捨てることができないんだ。だから、さようなら。
おわり。