いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

ここに書かれなかった言葉へ

感想。『東京飄然』たしか前にも町田康のなんてことないかと思われた小説にとても大事なものがあってびっくりした経験があったような気がします。題名出てこないけど……。いとうくんは今回も、東京でどっか面白そうなところないか町田康さんに教えてもらおうかなくらいの軽い気持ちで本書を手にとった。ら、あっさりとびっくりしてしまった。小説のなかで、主人公は飄然としようとして、それは(たぶん)失敗してしまう。でも、小説のなかでは飄然とできないけど、とても大事なことをなんてこたなく、さらっと書くんは結構飄然としてるんでないの?僕たちが普段暮らす、飄然とできないこの世界が、突然ガラッと変わってしまうような、そういう体験はおそらくフィクションでしか味わえない。たぶん。『りびんぐゲーム』ラブコメを摂取し続けないと死ぬ病気にかかっています。少し前までは、マンガワンで『めぞん一刻』を一日一話読んでいたのでなんとかなっていたのですが、その『めぞん一刻』をついに全話読んでしまったので大変でした。ちなみにいとうくんは『めぞん一刻』では八神さんが一番スキです。『りびんぐゲーム』では時子さんが一番スキです。そういうことです。(いとうくんが感動したのは、『りびんぐゲーム』で描かれる東京がもはや遥か昔の、おとぎ話のような新鮮さすらある東京であることです。知っている駅、知っている街、そこで暮らすちょっぴりどこか僕たちとズレた人々)いとうくんがラブコメに求めるものは、僕たちが知っているんだけど、でも、なんだか、どこか違う景色。学校。知ってる。でもラブコメで描かれる学校は僕たちが知っているものと、なにか少し違っているみたいだ。アパート。知ってる。でも、ラブコメで描かれるアパートは僕たちが知っているものと、なにか少し違っているみたいだ。時代の移り変わりによる東京のファンタジィ化は、僕たちにさらに違った景色を見せてくれる。たぶん。(あともう一つ、ラブコメには『一体どのヒロインが主人公と結ばれる(=勝つ)のか?』という、バトル漫画のような面白さがあって、と思ったけど『めぞん一刻』にも『りびんぐゲーム』にもそういう要素はあんまりないですね。)『』tyosin好き〜。tyosinはなんか、一人になったら落ちてるところが好きです。いとうくんもその気持ち、わかるよ。ほんとだよ。通勤のときに聴いてるよ。たぶん。『人には言えない習慣、罪深い愉しみ』自著の書評の書評のなかで理想の書評について語る高橋源一郎。いとうくんもまれにその「理想」の書評を目指してみたりするので、僕たちははやく友達になるべきだと思う。見てたら連絡ください。頼む。

ついにいとうくんのなかで時代が動き、「ここではないどこか」から「今、ここ」へと意識が改変。暑すぎて近所をぶらぶらするだけの週末が案外楽しくてビビります。遠出しないので家にいる時間が長くなって本読んだり家事したりして心のゆとりも生まれます。しかし、それでも、まだ、ゼロ年代後半にたどり着いただけ。とてもじゃないが時代に追いつけない。いつまで経っても後ろをよろよろ走るだけの弱小ランナーだ。悲しいことに、23にまでなって、まだそれが僕の現状らしい。次はどこに向かって走ればいい?というか、まだはしなくちゃだめか?僕はもうクタクタだよ……。家で飲むコーラが一番うまい。

新潮 2018年 09 月号

新潮 2018年 09 月号