いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

ここは寒い

玉川上水沿いの道をずっと歩くといつの間にか周りが森の中になっていてそれを抜けると家とかがあってその先に学校があった。そこで立ち止まって、川のなかをじっと見つめるけど、僕の姿はどこにもなかった。諦めて暗くなった井の頭公園を歩いた。なんの頼りもなかった。どこからが井の頭公園なのかも正直よくわかっていなかった。だから、今、歩いているここが、井の頭公園かどうか、本当のところ、僕は知らない。歩くと、たまに人がいた。人がいないときは、どこにも人がいなかった。寒かった。足元がとくに冷たくなっていた。足を動かすのがしんどかった。風が容赦なく吹いた。頭が痛かった。あんまり昨日とかの記憶、なかった。悲しい。人がいた。いた気がする。かなしい、ということについての小説を読んだ気がした。あんまり昨日とかの記憶がなかった。

頭が痛かった。

お風呂に入って20分も経たずにあがった。気持ちが悪くなったからあがった。治っていた気持ちが悪いのがぶり返してきた、と思った。だからお風呂をあがった。20円入れてドライヤーで髪を乾かした。夏だったら、タオルでばあああって髪の毛を吹いて、それで外に出ちゃってたけど、今は寒いからドライヤーを使うようにしている。パンツを履きながら、本当はお風呂に入る前にスターバックスで本を読んでいたことについて考えた。だけど本の内容を忘れてしまったから、そのことはあえて書かないでおこう、と決めた。結局書いてしまった。

お墓にお参りに行くと、小学生のとき、お盆で、死んだおじいちゃんの仏壇の前で新しいビーダマンがほしいです、お願いします、とお願いしたのを思い出す。なんで僕たちは死者に向かって祈るんだろう?ビーダマンがほしいのなら、死んだおじいちゃんじゃなくて、生きているお父さんやお母さん、せめておばあちゃんに頼むべきだと思うんだけど。

僕たちはつい、必要以上に、感じてしまう。死ぬ、ということについて。死んだ人、というものについて。

玉川上水の横を歩く前に僕はお墓参りに行った。お墓に行く道がわからなくてまわりをウロウロしてしまった。足が冷たかった。指先がかじかむからポケットに手を突っ込んだ。耳が破けてしまわないようにフードを被った。寒かった。こんな日に、川に飛び込んだら死んでしまうな、と思った。もちろん、こんな日じゃなくても。

流れる水は冷たい。

正直何も感じてなんかいなかった。たぶん。自分の感情に自分で判断がつけられるってのなら、人はここまで苦労しない。苦悩しない。そういうシステムに感謝する。

お墓の前で、あんまり人の悪口とか言わないようにしたいです、と祈った。死者に向けて祈っているように見せかけて、実は僕の心に向けて祈っていた。たぶん。はっきりとしたことはわからない。相変わらず周りに人はいなかった。どこにも誰もいないから誰のことも悪く言う必要はなかった。如是我聞。