いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

ジ、エクストリーム、スキヤキ

 僕はお風呂に浸かってる。自分の部屋の、狭い、足も伸ばせないような狭い浴槽にお湯を半分だけ溜めて、そこに浸かってる。きちんと掃除していないから、背中のあたりがちょっとだけぬめぬめする。

 Bluetoothスピーカーを浴室に持ち込んで、それで音楽を聴いている。聴いているのはこの前出たばかりの、プリパラの新しいアルバムだ。今度、筐体のゲームも復活するらしい。

 プリパラは、僕の大学生活が始まった年に始まって、僕の大学生活が終わる年に終わった。だから、僕はプリパラに対して、なんというか、一蓮托生のような、そういう一体感のようなものを感じていて、それなのにプリパラは新しいアルバムを出して、ゲームも復活するから、なんだよそれ、と少し怒ったような気持ちになっている。

 でも今、プリパラの音楽のおかげで、かろうじて僕は意識を保っていられる。

 さっきまでベッドの上で、起きているような、眠っているような状態でごろごろしていたから、まだちょっとうとうとするのだ。

 気を抜くと、溺れてしまいそうだ。自分の家のお風呂で? 自分の家のお風呂で溺れるなんてことが、本当に起こるのだろうか。僕の周りで、そういう話は聞いたことがない。たんに、自分の家のお風呂で溺れたなんて、恥ずかしくて誰も言えなかっただけかもしれないけれど。

 お風呂で、溺れるか、溺れないかの境目をふらふらしながら、僕は昼間行った動物園のことを思い出した。アニマルセラピーという言葉がある。僕はなんだかここ最近ずっと、頭が冴えなくて、気分も鬱々している。だから、動物園に行って、かわいい動物でも見れば、少しくらいは気分も晴れるかなと、そう考えたのだ。

 だけど、実際行ってみると、動物を眺めるのはかったるく、これは違うな、とすぐに気づいた。

 動物も見ないで園内を歩いていると、なぜか彫刻展をやっているところがあって、そこに鎌倉の大仏くらい大きな男の彫像が飾ってあって、せっかくなので僕は建物の二階にあるベンチに座って、その彫像をぼんやり眺めてみた。身体中が銀色に光り輝いていた。その彫像は平和への祈りを込めて作られたものらしかった。その時の僕の心は揺れ動いていたように思う。

 そこに、どれくらいいたのか、正直よくわからない。一人でいるときは、時間とか、空間とか、そういうことは漠然とだけ感じておけばいいから、楽だ。

 だから、僕はそのあとどういう道順を辿って駅まで歩いたのかも、その道中どこに寄って、何をしたのかもよく覚えていない。何時に家に帰ってきたのかも知らない。

 湯船が冷めてきたから、お湯を少しだけ注ぎ足す。

 動物園で、動物を横目に歩きながら、Twitterをやめるべきかどうか、ということを考えていた。Twitterで、人のことを馬鹿にしたり、人のことを馬鹿にしたり、人のことを馬鹿にしたりするのは、たしかに楽しいけど、そういうことばかりしているからか、実際に人と喋るときに、うまく言葉が出てこなくなってしまった、ような気がする。先日、会社の同期の飲み会に行ったときも、何か話を振られた僕はえへへ、とか、でへへ、とか、笑ってばかりでまったく会話が盛り上がらなかった。

 ひとつ考えたのは、僕の知り合いにいる、山登りが趣味の女子中学生に今度使っていないタブレットをあげることになっていて、そのときに僕のアカウントも一緒にあげちゃおうか、というものだった。その場でパスワードを変えてもらえば、もう、僕は一生そのアカウントにログインすることができなくなる。僕のフォロワーはみんな優しいから、急にアカウントの中の人が変わっても、きちんと受け入れてくれると思う。

 だけど、僕は普段からそういう、急に人が変わったようなつぶやきをしていて、だから誰も、僕がTwitterを辞めて、アカウントを別の人にあげちゃったことに気づかないんじゃないか? ということを考えた。

 というよりも、僕はまさにそれを狙っていて、知り合いの女子中学生につぶやきを交代することで、ま〜たあいつ変なこと云ってるよ、という段階を経て、いや、いつまでそれ続けんの?となり、やがて、あれ、いとうくんほんとに大丈夫?となるのを期待しているんじゃないか? ということも考えた。僕はただ、みんなに心配されたいだけじゃないのか? という疑念が生まれたのだ。そして実際、僕はただ、みんなに心配されたいだけなのかもしれない、と思った。

 僕のなかには、そういうふうにみんなに心配されるのを切望している僕と、みんなは逆に大丈夫か?と意地悪く言い返す僕がいて、時にはかまってちゃんの僕が、時には練マザファッカーの僕が顔を出すせいで、インターネットでもあんまり人と仲良くなれないんじゃないか、と僕は僕のことを解釈している。

 でも、間違っているかもしれない。

 わからない。

 僕には、これはこうです、と強く主張できる何かがない。何事にも、あまり自信を持てない。

 とりあえず、そんな、もしかすると僕のエゴが混じっているかもしれないような作戦に無垢な中学生を巻き込むわけにはいかないから、その娘にTwitterのアカウントをあげる、という案は却下だった。

 頭のなかがぐるぐるしてきた。のぼせてきたのかもしれない。

 いつの間にか、プリパラの新しいアルバムは2周目に入っていた。

 プリパラが新しいアルバムを出して、筐体ゲームも復活して、なんだよそれ、と怒る気持ちと同じくらい、それを祝福している気持ちが、本当は僕のなかにもある。

 というよりも、そっちのほうが、たぶん大きい。

 だけど、単純におめでとうって言うのが恥ずかしいから、拗ねたふりをしているだけのような気がする。

 僕はプリパラがわりと好きだ。だから、ノンシュガーの三人が「かりすま〜とGIRL☆Yeah!」を歌っていたり、ちりちゃんとしゅうかが二人で歌っていたり、マイドリが新曲を歌っていたり、しゅうかが友達は一番かけがえのないものと歌っていたりするのを聴いたときは素直にうわ〜! と嬉しかった。

 完全にのぼせてしまった。水を浴びる。冷たい。汗が止まらない。

 筐体のプリパラが復活したら、ちょっと遊びに行ってみてもいいかもしれない。

 もちろん、それで僕の大学生活が戻ってきたりするような、そんな奇跡は起こんない。でも、まあ、それでいいのだ。僕の未来に、何か、僕の過去にリンクするような出来事が待ち受けていると、そういうふうに考えられるなら、とりあえず、僕の未来はそんなに暗くはないんだと思う。

ジ、エクストリーム、スキヤキ

ジ、エクストリーム、スキヤキ

 

おわり