いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

東京オリンピックに僕はいない

 そんなわけで、僕は死んでしまった。
 みんな、さようなら。
 まさか、本当に自分が死ぬことになるとは。
 自分が死ぬときは、焼身自殺とか、心中自殺とか、割腹自殺とか、なんか、よくわかんないけど、そういう劇的な、人の心に強く残るような、そんな死に方をするものだとばかり思っていた。なぜなら、僕はこの世界で唯一無二だから。そう信じてきたから。
 
 死因:事故死
 
 僕は駅のロータリー前でタクシーに轢かれて2メートルほど吹き飛ばされた挙句、喫煙所に設置された灰皿の隅に頭をぶつけて死んだ。
 喫煙厨、氏ね!w
 つって!www
 実際に死んでるのは僕なわけですがwww
 死ぬ間際、あーこれで明日から会社行かなくてよくなるなー、とか、セックスしたかったなー、とか、アルバム出してみたかったなー、とか、貯金せず暮らしてきてよかったなー、とか、そういうことを考えた。悲しい7割、ホッとした3割といった感じだった。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないと必死に祈ってみたりはしたが、同時に、まあこれで死んじゃっても仕方ないか、という気分だった。
 特別な、絶対に死にたくないという強い意志があれば、あの絶望的な状況から生還することだってできたのかもしれないけど、僕のような、休みの日にすることがなく人に馬鹿にされる人生を送ってきたつまらない人間にそれは到底不可能な芸当だった。
 あー、これ自分死ぬな、ってわかっちゃったら、形だけ反抗するフリはしたけど、それはフリで、内心ではもう死を受け入れてしまっていた。僕は基本的に受け身なのだ。誰かに話題を振られないとずっと黙っててしまうような人間なのだ。これをしろと云われなければ何もしないような人間なのだ。
 だから、死にました。
 みなさん、さようなら。今まですいませんでした。そして、ありがとうございました。
 僕のお葬式には、僕の家族と、地元の友人が何人か、あと、昔お世話になった先生が来てくれた。地元の友人たちはあっさり僕の死を受け入れていたようだった。彼らとの連絡はもう何年も絶っていたので、向こうにしてみれば僕なんてのはとっくに死んだようなものだったのかもしれない。わざわざ来てくれるような先生や、家族は、泣いてくれてた。ちょっとうれしかった。その後、ホテルで会食をした。魚の煮物が美味しかったのを覚えている。
 半年後、忘年会を理由に集まった大学の同期が会の後半、ぼそぼそと僕の死を話題にした。みんな、その話をするときは妙にしんみりしていた。涙こそ流さなかったし、露骨にあいつ良いやつだったなぁ、というような話はしなかったけど、でも、それぞれ感じるものはあるようだった。単純に人が死んだ、ということが怖かったのかもしれない。
 僕は僕が死んだことを僕が死んだ三時間後くらいかな、それくらいしてから思い出して、ツイッターで報告した。
「死にました。みなさん、さようなら」
 しばらくは誰もそのことを本気にしていないようだった。僕が死んでから一週間くらい、僕のツイートが更新されないのを見て、誰かがあれ?と感じはじめて、それから更に一ヶ月くらいして、ツイッターの誰もが僕のことを忘れたころにどういう経緯か僕の家族から僕が死んだことを聞いた僕のフォロワーが僕が本当に死んだことを報告して、それでようやく僕の死はインターネット上を流れた。
 インターネット上を流れた、と云っても、所詮、一個人の死だ。有名人の死ですら、3日もすれば忘れられるような世の中なのだ。何人かが、僕が死んだことを悲しむツイートをして、それで終わりだった。僕はシャクだったので、僕の死を悲しまなかったフォロワーの家の前にタヌキの死骸を放り投げた。本当はパンダの死骸がよかったけど、残念ながら日本に野生のパンダはいない。
 死んでみてわかったのは、人の死が語られるとき、その傍らには常にお酒がある、ということだった。僕自身、僕の死を語るときは常に日本酒を飲んでいたように思う。
 10年後、何を思ったのか、誰かがイタコに僕の霊を降ろしてもらおうぜwと云い出した。僕自身はとくに何も感じなかった。みんなは反対した。その人はそれから半年後に胡散臭い起業家に騙されて全財産を失う。だけど、僕の霊をイタコに降ろしてもらおうぜwと云い出したときはまだ全財産を失っていなかったので、まわりの反対を押し切って彼は単身、青森は恐山に向かった。
 彼はわざわざ前日に恐山の近くに宿を取り、まだ少数の人間しかいない時間帯を見計らって列に並んでくれた。深夜2時起きだった。徹夜組だった。
 それでも、3時間は待たされていた。彼は辛抱強く列が前に進むのを待った。何が彼をそこまでさせるのか?僕にはわからない。彼のまわりには、僕以外にも数人、死んだ人間がいた。祖母、中学の同級生、バイト先の先輩、会社の後輩……。そのなかで僕を選んでくれたということが、僕はうれしかった。でも、ちょっと不気味でもあった。僕ら、そんな仲よかったっけ?w
 僕くらいの距離感の人間ならイタコに降霊してもらっても、死者への冒涜とか、そういうのを意識しないで済むのかもしれない。5時間待って、彼はイタコに僕の霊を降ろしてもらった。
 その半年後、彼は胡散臭い起業家に騙されて全財産を失い、それが原因で友人知人も失うが、たった一人、彼の幼なじみだけは彼を見捨てなかった。その幼なじみはかなりのイケメンなので、うーん、これはBL!、と僕のなかにいる腐女子な僕も大満足だった。
 彼と幼なじみはその3年後、二人でオランダに移住した。
 ハンターハンターが完結した。
 村上春樹ノーベル平和賞を受賞した。
 D.O.が8度目の逮捕をされた。
 SMAPが再結成した。
 ラーメン荘が日本橋に東京2店舗目のお店を出した。
 ハンターハンターを読み、ノーベル平和賞受賞に湧き、D.O.8度目の逮捕に苦笑いし、SMAP再結成を喜んだ。開店当日に並んだ。あまり美味しくなかった。
 もちろん、その間も色々な人が死んだ。
 不謹慎かもしれないけれど、僕は僕以外の人間が死ぬのを見て、ちょっと、うれしかった。僕だけが特別なわけじゃない。みんな、死ぬ。みんな、特別じゃない。
 僕が死んでから数十年後、僕のことを知っていた人はみんな死んでしまった。
 僕がこの世界にいたという確かな根拠は、もうどこにもなくなってしまった。
 最近、僕はプリキュアの後番組として始まった女児アニメにハマっている。面白い。女児アニメとは思えない展開の連続で、ハラハラドキドキする。これを観て育った女子が将来、どういう大人になるのだろう、と不安にもなる。楽しみでもある。
 僕は毎週放送後、このアニメが終わるまでは死ねねーな、と思う。
 つってね。

 おわり