いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

いとうくんの再生日記『回答が与えられ、認識は逆転を起こす』

 申し訳ないが、そこで語られた世界の秘密について、詳細を記すことはできない。なぜなら、それは突き詰めればただの笑い話でしかないし、あまりにもどこにでもありふれた凡庸な話でしかないし、なによりも僕個人の話ではなく、僕の家族の話なのだ。僕にだって、守りたいものの一つや二つは、ある。
 そして僕はこれまで僕が嫌い続けたナニカを許した。


 さて、次の日、僕は大学時代お世話になった古本屋ジグソーハウスに行くが、時すでに遅く、ジグソーハウスは数日前に店舗営業をやめた後だった。悲しい。
 例えば、僕がここで死んでみせれば、僕は僕が望むジグソーハウスに行くことができるのだろう。
 だけどやらない。
 僕は死なないで、梅田の蔦屋書店へ歩いて向かう。蔦屋書店の一角にはジグソーハウスの本が出店された棚があり、僕はそこでタイトルに惹かれてコナン・ドイルシャーロック・ホームズの復活』と書き出しの一文に惚れてマーガレット・ミラー『心憑かれて』を購入する。
 『心憑かれて』はこういう書き出しで始まる。
「時は八月の末、子どもたちはそろそろ夏の自由にうんざりしていた。」


 僕は正直、東京に帰りたい気持ちもある。
 僕は帰る。
 僕は僕の意思で、そうすることを決める。


 次の日、いちごちゃんが東京駅まで迎えに来てくれる。
「先輩、三千円返してください。あと、お腹が空いたので夕飯を奢ってください」
 僕は苦笑いしながら、財布から三千円を取り出し、いちごちゃんが食べたい食べたいとうるさい駅構内のとんかつ屋に入る。
「メールありがとう。その、心配してくれて」
「は? あ、先輩、僕この二千五百円するとんかつが食べたいです。すいませーん!」
 僕は何かを云いかけて、やめる。
 僕は二千五百円もするとんかつを勝手に二つも頼むいちごちゃんを、ただ眺め、次にいちごちゃんが口を開く瞬間を、待つ。そして、それはすぐにやって来る。
「さて、では改めて、おかえりなさい、先輩。長い長い長い長い長い長い旅行はいかがでしたか?」
 僕は、
 僕は、それで、再生できたのだろうか?
 明日から、もう大丈夫になったのだろうか?
 それとも、まだダメなままなのだろうか?
 まだ、壊れたままなのだろうか?
 わからない。
 僕の結論はいつだってそうだ。わからない。
 僕は、自分が再生できたのか、そもそも再生の手段に旅行を選んだことは正しかったのか、もう大丈夫だと胸を張っていいのか、明日からまたきちんと東京で生きていくことができるのか、みんなに優しくできるのか、自分に優しくできるのか、何かを変えることができたのか、ここは天国なのか、それとも地獄なのか、そのどちらでもないどこかなのか、わからない。
 わからないのだ。
 ただ、ひとつのことを除いて。
 僕は答える。
「うん。楽しかった」
 ピース。笑顔で。


本当の本当におわり

いとうくんの再生日記〜沖縄編〜8日目?

 天国2日目。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は駅前ビルの喫茶店でモーニングセットを注文していた。
 喫茶店に入ってきたおばちゃんの声が大きかったので、削除。おばちゃんがドロップした飴を店員に拾わせ、こちらに持ってこさせる。黒糖飴だったので捨てた。
 運ばれてきたコーヒーに口をつけ、一息つく。
 僕はここでの生活にすっかり適応していた。
 というか、諦めていた。
 何度も繰り返すように、僕はもう、疲れちゃったのだ。
 疲れちゃって、もういいかなって気分だった。
 モーニングを食べ終え、お会計もせず喫茶店を出る。
 誰も何も云ってこない。
 なぜなら、ここは天国だから。
 まだ時間があったので、グランフロントや阪急のあたりをぶらぶらする。ヨドバシカメラがいつの間にか拡張されていた。
 お昼はお茶漬けを食べた。体に優しい味がしたが、少し物足りなかった。隣に座っている女の人が、だし汁をおかわりしたいらしくキョロキョロしていたが、残念ながらここには店員さんは一人もいなかった。彼女はそこで店員さんが現れるのを待っている間に寿命を迎えて、死んだ。
 さて、食欲を満たした僕は、まんがタイムきらら展in大阪へ向かうことにした。
 大阪港駅前で、パンダがジンベエザメに襲われていた。可哀想だと思ったが、とくに助けはしなかった。パンダはジンベエザメに食べられ、死んだ。
 まんがタイムきらら展には、フォロワーが二人と、二人と同じ会社の人が一人いた。その他に全身がまんがタイムきららの人が二人いたが、怖かったので近寄れなかった。
 僕たちは四人でまんがタイムきらら展に突入した。
 まんがタイムきらら展は充実の内容だった。というか、予想以上に展示が多かった。なんだこれは、と思った。膨大な情報量にくらくらした。そんななか、運良く後藤ひとりさんのライブを見ることができた。後藤ひとりさんがソロで何曲か演奏をした後に、結束バンドのメンバーが出てきて、最後にみんなで一曲演奏した。僕は感動した。涙が止まらなかった。ここは天国か!?と思った。そして実際にここは天国だった。
 物販では、後藤ひとりさんグッズが全て完売していて、何も手に入れることが出来なかった。缶バッジガチャをすると、はやすぎてもうここにはいないはずの平沢唯さんが当たった。結構うれしかった。
 まんがタイムきらら展を後にした僕とフォロワーの二人で、梅田の沖縄へ向かった。同じ会社の人は帰ってしまったので少し悲しかった。
 梅田の沖縄は、沖縄の沖縄以上に賑やかだった。僕たちはステージ最前列の席に通され、オリオンビール泡盛やなんだかそういうものを飲みながら、海ぶどうや、海ぶどうや、海ぶどう、あとは海ぶどうなどを食べた。他に何を食べたのかは覚えてない。
 10皿目の海ぶどうが運ばれたあたりで、森博嗣みたいな名前のミュージシャンが出てきて、ステージでライブをはじめた。何曲か演奏したあと、今日結婚式だった人と今日誕生日だった人をステージ上にあげた。今日結婚式だった人と今日誕生日だった人はどちらも自分が今日の主役です、という顔でステージに立った。僕は彼らが少しだけ可哀想になった。彼らはステージ上で下手くそなフリースタイルバトルをやらされた挙句、ちんけな商品(Amazonギフト券)のために腕相撲をやらされていた。これじゃただの晒し者じゃないか、と僕は森博嗣みたいな名前のミュージシャンに怒りを覚えた。死ね、と念じた瞬間、森博嗣みたいな名前のミュージシャンは血を吹いて倒れた。いつの間にかみんなが立ち上がって、テーブルの周りをぐるぐるぐるぐるぐるぐるまわりながら踊っていた。誰かが、殺せ!と叫んだ瞬間、今日誕生日だった人が今日結婚式だった人を殴って倒した。今日結婚式だった人は悲鳴をあげながら、今日誕生日だった人に飛びかかった。あとはめちゃくちゃだった。僕たちは殴り、殴られ、ボロボロになりながら梅田の沖縄をあとにした。
 梅田の沖縄の外で、フォロワーの一人が明日島根に行くらしいのでお別れすることになった。

 僕たちは二人になった。
 僕たちは血塗れになりながらサイゼリヤに入った。ワインをボトルで、それとピザと、あと、なんだっけ……パエリアを頼んだような気がする。ワインに含まれるアルコールが唇の傷に染みた。安いワインを飲んでいると、楽しくなってきたのでジメサギを大音量で流したら店員さんに注意された。その店員さんは突然現れたパンダに引きちぎられて、死んだ。店員さんが死んだのを確認して僕たちは、また大音量でジメサギを流し、一緒に歌った。僕と、ダブミヤと、ジメサギと、サイゼリヤのワインを飲みながら僕たちはドロドロに溶けて、死んだ。ジメサギが「なんか隣のやつがチラチラ見てきてムカつく」とブツブツ云って、僕たちを苦笑いさせた。ジメサギはコーラしか飲んでないのにぶっ飛んでいた。ジメサギが今にも暴れ出しそうだったので、僕たちはワインのボトルを半分ほど残して、慌ててサイゼリヤをあとにした。
 
 それから僕は一人で大阪に住む弟の家に帰った。


 弟の家にはなぜか母親もいた。そういえば、今日来るかも、ということを云っていたような気がするが、よく覚えていなかった。

 母親はソファに座った僕に静かに世界の秘密を語りはじめた。

 つづく

いとうくんの再生日記〜沖縄編〜7日目?

 そして僕は死んだ。人は死んだら天国に行く。天国の形は人それぞれで、僕の場合それは大阪の形をしていた。
 たこ焼きを頬張る。熱すぎてすぐには咀嚼できない。半開きにした唇の隙間から風を送り込みながら、三角公園の真ん中でスケボーに励む少年たちを眺める。
 誰かが派手にコケて、笑い声があがる。パンツをめくると、すねが赤く染まっているのがわかる。僕も覚悟を決め、たこ焼きを勢いよく噛み砕く。タコがはじけて、口内に痛みが走る。ちょっと泣く。すねを怪我した男の子は笑っている。
 再生を誓い沖縄まで飛んだっていうのに無様に死んで、結局こんな場所に行き着いてしまったことが、ただ情けなかった。
 ここが天国。
 喉が渇いたので、お茶、と念じると綾鷹が出た。どうやら、ここでは望めば、なんだって手に入るらしいのだ。
 ルートビア、ポン。テレビ、ポン。みかん、ポン。ソファ、ポン。肝臓売らなきゃコインケース、ポン。ぼっちちゃんクリップメモスタンド、ポン。ラーメン、ポン。大きいお風呂、ポン。AFFIX×asicsのGEL KINSEI OG、ポン。エドマンド・クーパー『太陽自殺』、ポン。オリオンビール、ポン。落花生、ポン。布団、ポン。睡眠、ポン。夢、ポン。起床、ポン。才能、ポン。肝臓売らなきゃコインケース、ポン。佐川恭一『無能男』、ポン。ギター、ポン。嘘喰い全巻、ポン。10億円、ポン。やかん、ポン。自分の店、ポン。将来設計、ポン。スラムダンク9巻、ポン。ADER errorのフリースジャケット、ポン。三ツ矢サイダー、ポン。tofubeatsとの親交、ポン。ここなちゃん、ポン。肝臓売らなきゃコインケース、ポン。たこ焼き、ポン。お茶、ポン。強靭な口内、ポン。眠い、ポン。安心、ポン。
 なぜだか、無性に悲しくなった。
 それから、死にたくもなった。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は昔に通っていた大学の前に立っていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は大阪城公園をランナーに混ざって走っていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は鶴橋の焼肉屋の一つに座っていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は通天閣を見上げていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は千日前商店街で人混みに揉まれていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は堀江の服屋で服の試着をしていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は梅田のゴッサムシティでぼんやりしていた。
 死、ポン。
 パチリ。
 僕は阪急の地下で串カツを食べていた。
 死……、いや、やめた。
 何度死んだところで、意味なんかない。本当の意味で生まれ変わるわけなんかじゃない。ただのまやかしだ。死んだフリにすぎん。
 僕は頭を抱えた。口の中にはたこ焼きの熱がまだ残っていて、ヒリヒリ痛むのをどこか他人事のように感じている僕がいた。
 つづく。 

いとうくんの再生日記〜沖縄編〜5日目

 ここまでの再生日記を読み返して、僕は頭を抱えた。
 なんだ、これは?
 僕は一体、何をやっているんだ……。
 駄文をだらだら書き繋いで、それを恥ずかしげもなく公開して、あげく、自分で何度もリツイートする始末……。
 5日目、僕はぶらぶら国際通りでお土産を探し、バス移動で疲労した身体をマッサージで癒し、琉球の歴史を感じるため首里城と玉陵に足を運び、旅の疲れを洗い流すため栄町市場で貝を喰らい、酒を飲んだ。
 頭がズキズキ痛んだ。まだくらくらしていた。
 昔、鬱病で苦しんでいるケンちゃんに「僕もわかるよ。僕もなんか、なんだろう、ダルいし、頭も重たくて、どうでもいいよ。どうでもいいことしかないんだ。何しててもつまんないし……。だからケンちゃんの気持ち、わかるよ」と声をかけたら「お前のそれはフリだろ?やめてくれよ、もう俺には構わないでくれ」と突き放されたことがある。それ以降、ケンちゃんとはまともに口を聞いていない……。
 どうやら……どうやら、僕のこれはフリ、偽物らしい。
 死ね。
 僕はその時、死ね、と思った。今でもそう思っている。
 もうね、嫌になっちゃった。みんな、好き勝手に喋って、好き勝手に分析して、好き勝手に判決して。みんなきっと、自分のなかに自分の価値観があって、自分の善悪があって、自分の信念があって、自分の思想があって、自分の言葉があって、だから、こんな、傍若無人なふるまいをされるんでしょうね。
 みんなはいいなぁ。羨ましい。ずるいよ。
 僕もね、有名なブロガーあたりがたまたま僕のブログを読んで、面白いって拡散してくれて、みんなが「この天才は何者……!?」って驚愕して、そのツテで編集者から声がかかって、エッセイなのかなんなのかよくわからない本を出して、それが全国の書店の自己啓発コーナーに平積みされて、何万部も売れて、地元で僕を馬鹿にしてきた人たちが一斉に声をかけてきて、大阪で僕を馬鹿にしてきた人たちが一斉に声をかけてきて、東京で僕を馬鹿にしてきた人たちが一斉に声をかけてきて、みんなを一堂に集めて土下座させて、本が売れに売れたから仕事も辞めて、ある日ラジオに呼ばれて、そのユニークなキャラクターがウケて、それを聞いたテレビのディレクターから声がかかって、NHKのちょっと知的な番組にゲスト出演して、そこでお笑い芸人にいじられながら番組を盛り上げて、その調子でドラマ出演したり、アイドルに楽曲提供したり、ニュースにレギュラーで呼ばれたりして、いつの間にかお茶の間の顔になっていて、二作目にして初の長編小説を出版して、それが芥川賞のタレント枠で受賞して、受賞式で破天荒なふるまいをして、それがまた話題になって、村上春樹と対談本を出して、個人のYouTubeチャンネルで適当な雑談動画をアップして、ドタマとコラボ楽曲をリリースして、カンヌ映画祭に呼ばれて、三島由紀夫賞の選考委員になって、たまに文芸誌に短編を載せて、深夜枠に自分の番組を持つようになって、そこで考えたキャッチフレーズが流行語大賞にノミネートされて、地元に帰るとみんなが僕のことを知っていて、大阪に帰るとみんなが僕のことを知っていて、東京に帰るとみんなが僕のことを知っていて、みんなが僕を必要としてくれるような、そんな人間になりたかったよ。
 そんな人間になりたかったのだ。


 何も考えないで書くと、いつもこんな文章になってしまう。頭が良くないから。中身のない人間だから。才能もないから。うんこ製造人間だから。


 次の日、僕は沖縄を飛び立った。僕の乗った飛行機は太平洋の真ん中に墜落して、それで僕は死んだ。

いとうくんの再生日記〜沖縄編〜4日目

 海海海海海海海海海海海海海海海海海海海海海海。
 海だった。
 眼前に、広大な海原が広がっていた。風が強くてウザったい。風に乗せられた砂が靴の中に入ってきてめんどくさい。マジで。
 磯の強烈な香りにくらくらする。
 くらくらした。


 さて、6時半に目が覚めた僕は、後輩で名探偵をやっているいちごちゃん(美少年)からメールが来ていることに気づいた。
 メールの内容はこうだ。
「やっほー、先輩。沖縄はどうですか?きちんと再生できそうですか?相変わらずの出不精で、ホテルの近場を観光して終わろうかなとか思ってませんか?A&Wで大好きなルートビアをたらふく飲んで、ホテルで寝てればいいやとか計画してませんか?前乗りで大阪に行けないかなとか考えてませんか?
 クズでマヌケで変化が怖いくせに変化を望んでもいてニッチもサッチも行かなくなったかわいそうな先輩のことが、僕は心配です。
 この前のゴールデンウィークだって、関西に行った話を聞いて愕然としましたからね。まったく目新しいものがないじゃないですか。傷心旅行に、別れた相手の地元へ行くストーカー男のような気味悪さを感じましたよ、あれは。
 あのね、先輩、そろそろ動いてください。
 先輩は再生するためにそこにいるんでしょう?
 勝手に傷ついて、勝手に盛り上がって、勝手にそこにいるんでしょう?
 だったら、せめて再生くらいはしてもらわないと、困る。
 僕はね、先輩に貸した3000円をまだ返してもらってないんですよ。ふざけんなですよ。部屋から出てきてもらわないと困るわけですよ。LINEのブロックも解除してもらわないと困るわけですよ。
 というわけで、先輩にオススメの観光地を調べておきました。思うに、先輩に必要なのは信仰心ではないでしょうか?何かを強く信じることのできる心ではないでしょうか?先輩は結局、何一つ信じることができないから、まわりの人間と仲良くすることができないし、自分に自信がなくて仕事もうまくいかないんじゃないでしょうか?
 そんな先輩に朗報です。
 どうも沖縄には、神々が降り立ったという神秘的な離島があるようです。URL貼っておきます。もし先輩が、明日はA&Wルートビア飲んでスーパー銭湯でゴロゴロしてればいいやなんて考えているのなら、その怠惰な精神を殺して、ぜひ、神の島へ行ってみてください。本島から20分ほどで行けるようですよ。
 どうぞ、ご考慮ください。
 こんなメールはただのおせっかいであることを願うばかりですが。


 いちごちゃんより🍓」
 一言一句その通りだと思った僕は、メールにあるURL先のページへ飛び、港行きのバスが出ているらしい那覇バスターミナルへ向かった。
 那覇バスターミナルに到着したのが午前9時。その30分後に港行きのバスが出発。バスに揺られ、約1時間後、僕は安座真港にいた。
 小さな待合所でフェリーの切符を買う。お土産売り場にウミヘビが一匹丸々売っていて、ちょっと購入を迷ったけど、3000円くらいするので諦めた。
 30分後、僕を乗せたフェリーが港を出発した。僕の前には、会社仲間だろうか?40代半ばくらいのジジババが3シートほど占拠して「仲間最高!」と喚いていた。ノーニューフレンド!ノーニューフレンド!ノーニューフレンド!と騒いでいると、僕の隣に座っていたカップルも一緒になってノーニューフレンド!ノーニューフレンド!と一緒に騒ぎ始めた。フェリーが揺れた。内臓が天に上がって、それから地面に叩きつけられた。いつしか騒ぎは船内全体に広がり、老若男女国籍問わず皆がノーニューフレンド!ノーニューフレンド!と歓声をあげていた。またフェリーが揺れた。内臓が天に上がって、地面に叩きつけられた。老若男女国籍問わない人々が一斉にジャンプして、また内臓が天に上がって、地面に叩きつけられた。
 最悪だった。
 最悪だった瞬間、いきなり騒いでいた老若男女国籍問わない人々が一斉に消えた。
 突然、船内は僕だけになった。
 フェリーが本日の目的地、久高島に到着したのだった。
 
 フェリーを降り、坂を登ると何軒か定食屋があった。僕は適当な定食屋に入り、イラブー汁御膳を注文した。味噌汁のなかにウミヘビがぶち込まれていた。皮に変に弾力があり、ゴムのようだった。ゴムを噛み潰すと漢方を混ぜた肉団子のような、妙な風味が口内に広がった。とても美味しいとは言えなかった。2000円もしたのに……。
 さて、それでも食欲だけは満たした僕は、とりあえず民家のあるあたりを歩いてみることにした。
 民家が集まっているというのに、驚くほど人の気がない。小中学校の前を通るとき、微かに子供の笑い声がする以外は誰の声も聞こえない。たまに人がいると思っても、レンタサイクルに乗った観光客という有様だった。
 奥まった道を進んでいくと、何かが焼ける臭いがしてきた。もうすこし進むと神社のような建築物があり、その前で大人が数人、何かを燃やしていた。何を燃やしているのかは、こここらじゃわからない。何かの神事の最中かもわからなかったので、それ以上進むことはせず、来た道をそのまま引き返した。
 民家を抜けると、閉じた世界は突如終わり、海が広がっていた。
「う、う、う、海だーーーー!!!」
 砂浜を中学生くらいの男の子が叫び、走り回っていた。なぜか頭にタコが巻きついていた。コケた。いつの間にか、足にもタコが巻きついているようだった。男の子のお父さんがやってきて、男の子からタコを引き離そうと必死にもがいていた。砂浜に寝転がった外国人が、それを見て笑った。
 僕は磯の香りにやられ、海に近づくこともできなかった。
 くらくらした。
 さて、島といえばレンタサイクルである。レンタサイクルといえば島である。海をあとにした僕は、待合所でボロッボロのママチャリをレンタルして、カマンベール?みたいな名前の岬を目指すことにした。
 カマンベール?みたいな名前の岬は島の一番奥にあった。そこまで行くには、草木に囲まれた一本道を延々と走る必要があった。時たま、〇〇浜と看板があって、その度にママチャリから降り、脇道に逸れ、海を眺めた。どこにも誰もいなかった。あんなにたくさんいた観光客はどこにいってしまったのだろう?
 くらくらする。
 3つ目くらい寄り道して、それで海を眺めるのにも飽きて、そこからはひたむきに前へ進んだ。
 僕の進む道を取り囲む草木以上に高いものなど何一つ存在せず、ただ、黒い蝶々がひらひらと舞っていた。
 正直、僕は飽き始めていた。磯の香りにも、延々と続く同じ風景にも。
 だから、カマンベール?みたいな名前の岬に到着しても大した感動はなく、ただ、これで帰れるのだと安堵するだけだった。
 港への帰り道、ここに暮らす人々のことを想像しようとしたけど、うまくいかなかった。


 港近くのお店でイラブー酒を飲み、港のベンチでぼんやりしていたら6時間が経っていて、ようやく高速船で本島に帰ると、まだ16時なのにバスが一本もなかった。グーグルで調べると、30km先にあるバス停からバスに乗れと言われた。タクシーの料金を調べると、7000円するの言われた。
 ここは東京じゃないのだ。
 僕は泣きそうになった。


 泣きながら1kmほど歩き、観光案内所に逃げ込むと、そこのおばさんが優しく帰り方を教えてくれた。感動してまた泣いてしまった。おばさん曰く、南城市鳥取枚方を経由すれば那覇に帰れるとのことだった。
鳥取で降りて、その30分後にくるバスに乗って枚方を通過すれば那覇に帰れます」
 いや、本当に観光案内所のおばさんはそう言っていたのだ。そして実際、鳥取の山中を縫うようにバスは進んだし、暗くなったロードサイドの景色は枚方駅前のラーメン荘を食べ、下宿に帰宅するときの景色そのままだったのだ。
 これは神の見せた奇跡か?それとも過去が魅せた幻か?
 どちらでもいい。
 ただ僕は、呑まれないようにバスの天井をじっと眺めるのみだった。
 つづく

いとうくん再生日記〜沖縄編〜3日目

 昨日の記憶があんまりない。いや、本当はある。新宿に行った。旅行するにしても、現金があまりにもないので、会社からもらったギフト券を現金化しようと新宿の金券ショップに行ったのだ。そのあと、現金が手に入ったので、古着を買いに下北沢に行った。その時には、2日目の記事はお金のことについて書こうと思っていた。何に使ってるのかよくわからないけどいつの間にかお金がなくなっていること、そのせいで貯金が34円しかないこと、クレジットカードの請求書を見るたびに鬱病になることなどを面白おかしく書くつもりでいた。
 でもね、ダメでしたよ。
 家に帰った瞬間、とてつもない罪悪感にやられてしまい、何も書くことができなくなってしまった。
 何に対する罪悪感か?
 東京でお世話になった全ての人々に対してだ。
 彼らはみんな、何の取り柄もないヘボヘボな僕にとても優しくしてくれた。本当に嬉しかった。みんながいなかったら、きっと僕はとっくのとうに自殺していたと思う。
 そんな彼らに、なぜ僕は身勝手で独りよがりな苛立ちを覚えてしまうんだろう?
 誰も悪くないのに。
 みんな、本当にいい人ばかりなのに。
 自分で自分が恥ずかしい。僕は何の取り柄もないうえに、とてもひどい人間だった。謝りたくなった。今までお世話になったすべての人たちに、土下座したくなった。
 2日目の夜はそんなふうに頭を抱えながらヘボいウィスキーを飲んでいたらいつの間にか終わっていた。


 さて、そして沖縄出発当日。
 僕は阿佐ヶ谷駅前のスターバックスで強大なホームシックにかかっていた。
「い、行きたくない……東京にいたい……」
 行きたくなかった。
 なんで沖縄なんか行かなあかんねん、という気分だった。東京のほうが絶対強いのに……。沖縄にはチコしかいないのに……。
 なんとも情けないことに、僕は沖縄に何があるのかをまったく知らない。なんとなく、海が綺麗というイメージはあるけど、海水浴には何の興味もなかった。まじでなんで沖縄行きのチケットを取ったのかわからなかった。北海道にしとけばよかった。デカイし。あと……デカイし。
 沖縄の天気をグーグル検索すると、滞在中はほぼ雨であることがわかった。
 ……。
 こんな調子で、はたして僕は本当に再生できるのだろうか?
 不安になった。
 不安になってしまった。
 なんだか、ひどい間違いを犯している気がしてきた。
 旅行が根本的な解決になるとはどうしても思えなかった。
 
 それでも2時間かけて成田空港に到着した。スーツケースを空港に預けると少しだけ気分が楽になった。
 飛行機の中での記憶はない。いや、本当はある。赤ちゃんがよく泣いていた。前の席の外国から来た女の人が、赤ちゃんの泣き声がするたびに優しく微笑んでいた。それを見た僕は、死ね、と思った。赤ちゃんの泣き声は間違いなくまわりの人間にとって不快なものであるはずなのだ。僕はこの手の誤魔化しがなによりも嫌いなのだ。隣のデブが大きな寝息を立てた。僕は気圧の変化に耐えるため、ずっと飴を舐めていた。


 飛行機は定刻より1時間遅れて那覇空港に到着した。
 
 空港での記憶はない。いや、本当はある。新潟県警の人がいた。なぜなのかはわからなかった。那覇空港は、時間帯のせいもあってか全体的に薄暗い印象だった。地元の空港に似ている、と感じた。終わった場所の臭いがするのだ。
 那覇空港からはモノレールで国際通り沿いのホテルまで移動することにした。去年行った台湾も確かモノレールの移動だったような気がする。違ったかもしれない。台湾に行きたくなった。
 モノレールではSuicaが使えないので、切符を買った。だというのに、改札に切符をいれるところがないのでわけがわからなかった。泣きたくなった。駅員さんによると、切符に付いているQRコードを読ませればよいらしかった。インターネットによると、来春からSuicaに対応予定らしかった。来春に来ればよかったと思った。
 目的駅には20分ほどで到着した。もうすっかり僕はくたくただった。

 駅を出て、沖縄の街並みを前にすればテンションも少しは上がるかと思ったが、ダメだった。当たり前だけれど、ここも日本なのだ。見慣れた住宅街。見慣れた免税店。見慣れた韓流アイドルショップ。見慣れた言語。見慣れた格好の人々。
 ここは僕の日常の延長線上にある街だった。
 なんてこった……やっぱり北海道に行っとけばよかった。デカイし。あと……デカイし。
 
 さて、ホテルに荷物を置き、お腹も空いていたので僕は沖縄料理を出す居酒屋へ向かった。
 そこで僕が食べた、素晴らしき沖縄料理たちと、その所感を留めておこう。


・アーサ汁
 これは……もずく?????よくわからない。
・山羊寿司
 美味しいけど他のお肉と何が違うのかわからない。
ジーマーミー豆腐
 甘い???ような???よくわからない。なにこれ?
マンボウ刺し
 マンボウも所詮お魚なんだなと思った。
沖縄そば
 お腹が痛くて半分も食べられなかった。
オリオンビール
 ビールだな、と思った。
泡盛
 あんまり好きじゃない。


 ……。
 僕に食べられるためにこの地球に誕生したすべての生物に土下座したくなった。
 お腹が痛くなってトイレに駆け込んだら和式便所のなかで、死んだゴキブリがプカプカ浮かんでいた。
 帰ろう、と思った。
 
 その日は全く眠れなかった。

いとうくん再生日記〜沖縄編〜1日目

 どうも、よくないものが僕のなかに沈殿している。そのせいで、ずっと頭は冴えないし、手足の動きは鈍重だし、帰りの電車ではデブ女しか隣に座ってこない。ここは狭い。それに息苦しい。
 学生時代は終わりが設定されていたのでよかった。いずれこの生活が終わる、ということにどれだけ救われたか。あの頃は、夕暮れを眺めるだけでエモい感じになれた。エモエモ人間だった。今じゃ、夕暮れを拝んだところで深刻に死にたくなるだけだ。
 9時半に出社して、パンダの頭を割ってベルトコンベアーに流す作業に励む……。要領が悪いせいで大抵定時にノルマが終わることはなく、19時、20時、と時間だけが延々と間延びしていく……。何のために僕はパンダの頭を割っているのか? そう自分に問いかけることにも飽きた。給料や待遇は他の企業に比べると全然いいが、それが何だって云うんだ。いくらお金を多く貰えて、休みを多く取れたところで、この地獄が終わるわけでは、決して無い。要領が悪く、まわりの社員から哀れみや軽蔑の目を向けられることに耐えさえすれば、安定した暮らしを送ることができる……。安定した暮らしを送ることができるってだけで、定職にも就けなかった人間にマウントを取られ続ける生活……。毎月決まったお金が振り込まれ、日々を消費する人間はクリエイティブではないという狭い見識……。一方で、したくもない成長を促そうとする上司……。どこにも味方がいない……。誰にも理解されない……。
 何かを変える必要がある。
 何かを変えたい。今の生活にはうんざりだ。死にたい。飽き飽きした。飽き飽きの秋だ。しかし、だからといって、じゃあ変えましょか! と例えば会社を辞めたところで、その先に待っているのはまた別の停滞だ。結局死にたいだけの毎日だ。それがわかっているから、新しいことを始める気にもなれないし、何事にも一生懸命になれない……。どうせ意味ないし……。なんか、張り合いがない、っていうんすかね……? だって、結局みんな似たようなやつなんでしょ……? 僕は聡明だからそういうのわかっちゃうんだよね。
 じゃあどうすればいいのか?ここじゃないどこかに行きたいが、ここじゃないそこへ行ったところで、今度はそこじゃないどこかに行きたくなる僕に、進むべき道はあるのか?
 ある。
 たったひとつの冴えた再生の呪文が、ある。
 旅行に行けばいいのだ。
 旅行なら、簡単にここじゃないどこかを体験できる。そして、それは期限付きの非日常なのだ。ずっとそこにいることはできない。飽きる前に終わる非日常! 甘美な響き……。
 僕は沖縄の地で再生する。
 
 さて、フライト予定の土曜日、僕は家にいた。
 ロフトの上で、寝転がって漫画を読んでいた。
 本当なら成田空港発那覇空港着の飛行機に乗っているはずの時間に、ロフトの上で寝転がって漫画を読みながらヘボいウィスキーを飲んでいた。
 どういうことか?
 改めてここで報告するまでもないが、台風が来ました。木曜日の時点でスーパーはカップ麺やペットボトルを大量に抱えた人でごった返していました。金曜日には僕も、重たいペットボトルを持って駅前から我がアパートまで、約1km歩きました。死ぬかと思った。それから散髪に行った。メンヘラなので髪型をすぐ変えたくなるのだ。
 髪を切り終えた僕はそれなりに上機嫌だった。土曜予定だったフライトはすでに日曜日に変更している。午後から電車が動くかどうかだけが不安だが、まあ、なんとかなるだろう。
 この時点で僕はわりとのんきだった。
 この時点で僕はわりとのんきだったので、次の日もロフトの上で寝転がって漫画を読みながらヘボいウィスキーを飲んでいられた。
 しかし午後15時ごろ。オンラインでチェックイン手続きができることを思い出した僕は、酔ってへろへろの頭でブラウザを立ち上げ、LCCのホームページに飛んだ。予約番号とメールアドレスの欄を埋め、チェックインを済ませようとしたが、????? なぜか全くログインできなかった。
 ???????
 僕が酔っているからチェックインできないのか?そういえば泥酔者は飛行機に乗れなかったような気がする……。
 酔いを覚ますために烏龍茶を飲んでいると、LCC会社からメールが来た。
 僕が乗る予定だった飛行機が欠航になったことを告げるメールだった。

 昼寝をして、滝本竜彦超人計画』を読み返して、タバコを吸って、窓を叩く強風に怯え、湯船に浸かり、カップそばを食し、パスタを食し、ヘボいウィスキーを飲んだ。

 これが僕の再生1日目。
 これが僕の再生1日目?
 これが僕の再生1日目だった。

 気がつくと、雨風が弱くなってきていた。
 今日一日、ずっと小麦粉しか口にしていなかったせいか、無性にサラダが食べたくなった。
 再生1日目に食べたいものを食べられないのは不幸だ。
 不幸なのは嫌だ。
 不幸なのだけは嫌だった。
 だから僕はまだ街中に台風の気配が残るなか、傘を差しながら近くのコンビニへ足を運んだ。
 苦労してたどり着いたコンビニは閉まっていた。
 手ぶらで家に帰る途中、突然強風が吹き、ビニール傘がバラバラになった。
 帰宅した僕は、本日二度目のシャワーを浴びた。脱衣場から出ると、隣の部屋から楽しそうな談笑が聞こえてきた。よく考えると隣の部屋には誰も住んでいなかった。
 14日には沖縄にいる、14日には沖縄にいるんだ、それまでは耐えるんだ。
 ブツブツとつぶやきながら、布団に入る。喉に少し違和感があった。相変わらず頭が重たかった。低気圧のせいだと思った。
 再生1日目は、そうして終わった。

 つづく