いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

あけましておめでとうございます

その日は久しぶりに銭湯に行かなかった。冬は寒い。とくに陽の沈んだあとは。新年があけても相変わらず忙しくて行き帰りの電車しか自由な時間がない。家に帰ると食事や洗濯といった繰り返しの営みがあってうんざりする。

新年になって変わったこと。

・銭湯に飽きた。

・高校生の頃からつけていた読書ノートをつけるのをやめた。

・電車のなかで本を読むようになった。

以上。

まず、銭湯に飽きた。毎週末、汚い脱衣所で服を脱いだりおじさんに混ざって熱すぎるお湯に浸かったり声の大きい大学生に眉を潜めたりすることにうんざりしてしまった。来週もここで僕は自分を慰めるのかと思うと、ちょっとゾッとするようになった。哀しいけど、全てのものは終わる。もうお湯に浸かることはありません。ここまでです。

同じように、読書ノートも終わった。本を読んだあとにペンを取るのが億劫だし、ノートを取り出すのも面倒だし、何より手書きで文字を書くということがまったくできなくなってしまった。漢字とか出てこんし。表紙の作者名とかじっくり見ても間違いなく書けてる気がせん。線とか点が足らん気がする。疲れるのでやめました。だから、今、たとえば僕が死んだら、僕が最後に読んだ本は石丸元章の『SPEED』になってしまうが、今のところ死後のことにまで責任を持つつもりはないので問題はないです。同様の理由から僕は部屋に転がる、いつつせ『ばっびゅ〜ばびゅばびゅ』もシオマネキ『公然ワイセツ彼女』もえいとまん『本能』も今すぐどうこうするつもりはない。放っておく。そこに僕の責任はない。

電車のなかで本を読むようになった、というのはそのままの意味です。最近本を読む楽しさに目覚めました。今ハマっている作家は西尾維新伊坂幸太郎です。よろしくお願いします。次は芥川龍之介とか読めたらいいなと思っています。本は全部torrentで落としました。漫画とかも漫画村で読んでます。

さて、2019年は飛躍の年にしたいですね。月並みで申し訳ないですが。当たり障りもなくて本意ではないですが。2020年はオリンピックに出たいのでそれなりに急がないと僕はいけないんだよ。

つづく

ここは寒い

玉川上水沿いの道をずっと歩くといつの間にか周りが森の中になっていてそれを抜けると家とかがあってその先に学校があった。そこで立ち止まって、川のなかをじっと見つめるけど、僕の姿はどこにもなかった。諦めて暗くなった井の頭公園を歩いた。なんの頼りもなかった。どこからが井の頭公園なのかも正直よくわかっていなかった。だから、今、歩いているここが、井の頭公園かどうか、本当のところ、僕は知らない。歩くと、たまに人がいた。人がいないときは、どこにも人がいなかった。寒かった。足元がとくに冷たくなっていた。足を動かすのがしんどかった。風が容赦なく吹いた。頭が痛かった。あんまり昨日とかの記憶、なかった。悲しい。人がいた。いた気がする。かなしい、ということについての小説を読んだ気がした。あんまり昨日とかの記憶がなかった。

頭が痛かった。

お風呂に入って20分も経たずにあがった。気持ちが悪くなったからあがった。治っていた気持ちが悪いのがぶり返してきた、と思った。だからお風呂をあがった。20円入れてドライヤーで髪を乾かした。夏だったら、タオルでばあああって髪の毛を吹いて、それで外に出ちゃってたけど、今は寒いからドライヤーを使うようにしている。パンツを履きながら、本当はお風呂に入る前にスターバックスで本を読んでいたことについて考えた。だけど本の内容を忘れてしまったから、そのことはあえて書かないでおこう、と決めた。結局書いてしまった。

お墓にお参りに行くと、小学生のとき、お盆で、死んだおじいちゃんの仏壇の前で新しいビーダマンがほしいです、お願いします、とお願いしたのを思い出す。なんで僕たちは死者に向かって祈るんだろう?ビーダマンがほしいのなら、死んだおじいちゃんじゃなくて、生きているお父さんやお母さん、せめておばあちゃんに頼むべきだと思うんだけど。

僕たちはつい、必要以上に、感じてしまう。死ぬ、ということについて。死んだ人、というものについて。

玉川上水の横を歩く前に僕はお墓参りに行った。お墓に行く道がわからなくてまわりをウロウロしてしまった。足が冷たかった。指先がかじかむからポケットに手を突っ込んだ。耳が破けてしまわないようにフードを被った。寒かった。こんな日に、川に飛び込んだら死んでしまうな、と思った。もちろん、こんな日じゃなくても。

流れる水は冷たい。

正直何も感じてなんかいなかった。たぶん。自分の感情に自分で判断がつけられるってのなら、人はここまで苦労しない。苦悩しない。そういうシステムに感謝する。

お墓の前で、あんまり人の悪口とか言わないようにしたいです、と祈った。死者に向けて祈っているように見せかけて、実は僕の心に向けて祈っていた。たぶん。はっきりとしたことはわからない。相変わらず周りに人はいなかった。どこにも誰もいないから誰のことも悪く言う必要はなかった。如是我聞。

「将来どうなりたいとか考えたことある?」と聞かれて僕は今ここにあるのがその将来なんじゃないのか?と思った。もうどこにも行けないんじゃないのか、僕たちは。「やりたいこと並べていったらオレは自由に使える時間が欲しいんだなってわかった」「その人たちに出会ってわかった」「通勤時間も本読むようにしてる」「自分がどうなりたいかだよな」で、お前は誰?ファック。死ね。「いとうくんは残業したりして責任ある仕事任されてるかもしらんけど、オレは、」と語る自信なさげな瞳だけが妙に記憶に残っている。

あとは忘れた。

僕は強い。

それからその人とは会っていない。どうなったのか、今も会社に残っているのかもよくわからない。終わったことだった。全部終わった。大好きな馬はもう走らないし、好きだったアニメは6年も前に終わっている。現場に残留することが決まったその日の飲み会で課長は僕に「目標は来年までに同じ現場の先輩を超えること」と言っていたけど、結局半月後にはその現場を離れることになった。気づけば25歳になっていた。もう戻れない。やっぱりどう足掻いたって今、ここにあるのが僕の将来なのだ。夢も、未来も、もうないのだ。

そのことに気づいているだけ僕は利口だ。

同じ時期に会社に入ったあいつは小説家になると言って会社を辞めていった。高校の同級生は今でも俳優になりたくて売れない演劇に出演してるらしい。飲み屋で知り合ったおじさんは40を超えてもまだ売れないバンドをやっている。みんなもう終わっているのに、誰もそのことに気づいていないらしい。

アホらし。

死にさらせ。

僕はコツコツと働いていた。次の現場は前と違って厳しいところで、休みを取るには理由がいるし、同じことを何度も訊けば怪訝な顔をされる。15分前に席についているのは当たり前で、朝会の前に声を揃えて挨拶をしなくちゃいけない。僕はすぐに慣れる。要領も前の現場ですっかり身につけていたからすぐに色々なことを任されるようになる。社会に自然に溶け込んでいく自分に少しだけ失望を覚えるが、すぐに忙しさに埋もれてどうでもよくなる。

何かに悩んでるやつはバカ。僕は悩まない。身体を動かす。走る。自分の時間なんてない。けど幸せだ。

しばらくそんな生活が続いて、ラインのメッセージが来る。しばらくぶりの同級生から。「今東京だっけ?今度そっち行くから飯行かね?」僕はしばらく迷ってから、その日は仕事があるから無理、と返す。今度地元帰ったら飲もう、とも。もう2年くらい地元には帰っていない。連休の記憶がないのはどういうことだ?違う。そういうことが言いたいんじゃない!!!!本当に悲しくなる。早く仕事に行きたい。働くのがつらいとかほざいてるやつは本当にクソだと思う。誰もが病んでる。まともな人間が僕しかいない。勘弁してくれ。クソとクソとクソに塗れて僕だけが1人だ。やめろ!!!!!同情するな、頭がおかしくなったんじゃない。おかしいのはお前らだろ。働くのが嫌とか、働くのが楽しいとか、アホか?????死ねよ。本当に死んでくれ。全員死ね。いなくなれ。感情を持った全てがなくなれ。黙祷。結局こうなるのか。どこにいても人が何かを語ることが僕は許せない。許せない。許せない。勝手に僕のことを決めて語る人が許せない。誰にもわからせない。何も辛いことがないのに全部嫌いでしょうがない僕の気持ちは誰にもわからない!!!!!!!!!!!!幸福に包まれながら全く満たされない僕のことなんか!!!!!!!!!!!クソ。僕だってわかりやすく社会から弾かれたかった。わかりやすくトラウマになるような事件に出会いたかった。何もないんだもんな!!!!!普通に人生を歩んでるよ。仕事楽しいよ!!!!!クソが、マジで死ねよ。こんな苦悩もこの世界にごまんと溢れていて誰も僕に気づかない。あの馬はまだよかった。メンタルに問題があるって、ちゃんとわかってくれる人がいた。僕は?「君はのらりくらりうまく人生進めていくタイプでしょ」は?????もう嫌だ。もう何もかも嫌だ。誰とも喋りたくなんかない。誰とも何も共有したくない。僕はしいたけになりたい。あまりにも何もかもがどうでもいい。どれだけの人がわかってくれるかもわからないが、僕は小説家になりたかった。小説を書く人になりたかった。本当に。真剣に。今、僕は毎朝通勤電車に揺られている。埋もれていく。幸せだ。幸せでしかない。もうどうでもいい。明日死んでもいい。本当は死にたくなんかない。僕の感情が僕はわからない。ここまで誰も読んでないことを僕は知っている。誰も!!!!!誰も僕の文章を読んでいない!!!!!誰も!!!!!!!もうどうでもいい。僕はどこにも届かない言葉を吐くだけのオナニー狂いのウンコ。精神に障害を持たない障害者。言葉にならない憤りだけが僕を動かす操り人形。みんなに尊敬されたかった。みんなを生きてるだけで悲しい気持ちにさせる存在になりたかった。明日から三連休だね。誰か僕と遊んで、僕の心臓はずっと動いていて誰もそれを止めようともしない。

ここに書くしかない

引退することにした。僕はもうずっと前から自分の限界に気がついていて、それをやっと周りの人たちも認めてくれたのだ。

疲れた。

もう、走りません。

だけど、幸福だ。

僕はずっと幸福のなかにいた。それだけは、その事実だけは、曲げてはならない。

僕は幸福だった。新馬としてデビューしてから、ついこの前のひどいレースまで、全てのレースが僕は楽しくて仕方がなかった。楽しかった。本当に。青春だったんだと思う。だから、あの馬のような、華々しいラストランはなくとも、本当にひっそりと、ここから姿を消していくことになろうとも、僕は、幸福なんだ。

そう、祈る。

僕の話をしよう。僕は昔、とても強かった。世界vs僕。僕はたった一人で世界と互角に渡り合い、そしてあと一歩で勝利を手にするところまでたどり着いた。

だけど、その、あと一歩が届かなかった。17歳の頃の話だ。それから僕は成すべきことを失ってしまった。刺すべきやつを失ってしまった。課すべきことを失ってしまった。世界は灰色で、輝きも呪詛も失ったみたいにどんよりとしていて、居心地が良くなってしまった。何もない、前進も後進もない最低の日々を更新するだけの生活。僕はそこにいて、幸福になってしまった。本当は小説を書きたかった。17歳はもう戻らないと知った。

僕の話をしよう。僕は昔、とても強かった。G1以下のレースで負けたことはないし、海外のレースで世界の強敵相手に勝利を収めたことだってある。いろんな人が僕を見限っていっても、僕だけは僕のことを嫌いになれなかった。それは、僕は僕が強かったことを知っているから。知っていたから。

疲れた。

自分の気持ちを言葉にすると何かが減っていく。

最後のレース、僕に乗った騎手は僕にはメンタル面で問題があると言っていた。それは、たぶん、当たっている。僕は頭がおかしい。だけど、それはネガティブな意味じゃなくて、僕は、幸せすぎて頭がおかしいんだ。スピード。僕は色々なものを捨て置いて走ってきた。僕にはネガティブな感情ってものがわからないよ。僕は幸福の天才。世界への呪詛と呪詛と呪詛は僕の愛情だ。たっぷり受け取ってほしい。だけど、もう、僕からは届けられない。

幸い、僕には優秀な遺伝子がある。僕の遺伝子が時を超え、新たな物語を紡ぐことだって、ある。途方も無い巨大なサーガを、僕たちは生きている。祈りは軽く時を超える。そこに僕はいなくとも、僕の言葉だけが残ることだって、きっとある。例えば、僕のこの想いが空気を伝って、僕とまったく無関係の、話したこともない人へ届いて、僕の代わりにそれを代弁してくれることだって、あるかもしれない。わからないじゃないか。僕の言葉は僕だけのものじゃないことを知れよ。これはサーガだ。血の繋がりより濃いものを僕は信じる。信じてる。

まだ夜明けは来ない。ここは暗い。目を閉じると思い出すことを思い出す。感情は幸福。僕は幸せだった。楽しかった。あらゆる人に、感謝しか、ない。僕の名前はサトノクラウン 。僕の名前は1000年後まで残らないかもしれないけど、僕の言葉は流れ、流れ、流れ続ける。玉川上水。その底に僕の言葉は眠っている。

ありがとう。

またあした

大学二回生か、三回生か、よく覚えてはいないが、おれはその当時、本谷有希子と本気で結婚したいと思っていた。フリクリのEDに出ているし、綺麗な顔をしているし、暴走しているし。おれは憧れたね。だから、おれは、『異類婚姻譚』をある種のNTRモノとして読むことに決めた。しかし、どうだ。読んでみても、おれはまったく絶望しなかった。おれはこの「旦那」ってやつは、おれのことのような気がしてならないんだ。ずっと、語る「私」に感情移入してきた、「おれ」が、語られる「旦那」こそが、「おれ」だと感じた。

「おれ」と「旦那」は以下の点が似ていると思う。

・一日三時間テレビを見ている(おれの場合はユーチューブだが)

・だらしがない

・何もしたくない

・何も考えたくない

・本当は草木になりたかった(重要なファクターだ。おれの場合はしいたけになりたい)

・人を食べている

・人に食べられている

・トラブルのときは人の影に隠れる(そうしているとまるですべてが他人事のような気がする)

・働いている

・食欲がない

ハイボールを飲んでいる

西武新宿線沿いに住んでいる(おれは作家はみんな西武新宿線沿いに住んでいるという誇大妄想に取り憑かれている)

・人の形でいたくない

・山のいきもの(おれは山のなかにある秘密基地で『暗闇の中で子供』の文庫本を読んだ経験がある)

・お経をよんでいる(祈り)

もちろん、おれは想像力をもったいきものであるから、そういう相似点を勝手に頭のなかで妄想して、結びつけて、空想して、納得してしまうところはあるが、しかし、これは、これはそういうのではない気がする。違う。おれは本谷有希子は本当は「おれ」のことを語っているんじゃないか?とか、そういうことが言いたいわけじゃない。違うんだ。おれはさっきから、いつの間にかおれの一人称が「おれ」になっていることに気がついている。いつからだ?

おれの番が来たのだ。

おれは今、食べられている。

食べられるし、食べられたし、今も食べられてる。

ずっと食べる側だった、おれが、今、

これがおれがやってきたことへの罰だったのなら、どれだけよかっただろう。

しかし、残念ながら、ここにそんなわかりやすいもんはない。

おれは、おれとなってしまった。

おれを食べている、そいつはおれからは見えない。

神が今、このタイミングでおれに『異類婚姻譚』を読ませたことには意味がある。つまり、つづきがある。

ここは暗い。

おれの肉体はとうの昔に朽ち果てている。知っている。

そして、今、魂

異類婚姻譚 (講談社文庫)

異類婚姻譚 (講談社文庫)

 

 

さようなら、

さようならこんにちははじめましてよろしくお願いします。いとうくんです。いとうくんだよ。サトノクラウンじゃない。辞めたよ。辞めた、サトノクラウンの魂を、僕はもう食べない。

僕はサトノクラウンじゃない。

悲しいけれど。寂しいけれど。悔しいけれど。

辞めることにしたんだ。走ってもないくせに走ってるフリをするのは。そんなの、サトノクラウンにとってみればただのお荷物でしかないし、サトノクラウンがどれだけ頑張ったところで、僕自身がどこかへ運ばれていくわけでもない。

誰の得にもならないんだ、こんなことは。

そもそも、当たり前の、ひどく当たり前のことを言わせてもらえれば、人は馬にはなれない。事実として、たんなる現実として。

魂の形が違うし、肉体の寿命も違う。

それを、僕は、無理矢理押さえつけて、いや、違うな。僕は関係ない。本当はずっと関係なかった。僕とサトノクラウンの間にはなんの関係もなかった。サトノクラウンの魂を食べていた?思い上がりも甚だしい。僕の文章は自己憐憫が過ぎてたまに気持ちが悪い。

それでも、思い上がりを自覚したうえで、だけど、僕の思念が、私怨が、愛が、祈りが、サトノクラウンの走りを邪魔しているような気がして仕方がないんだ。

僕はサトノクラウンに頑張ってほしい。本当に。馬の一生は短い。途方もなく、それは一瞬で過ぎ去っていく。その一瞬の煌めきを、僕の、人間の矮小なエゴで、台無しにしてほしくない。

僕はサトノクラウンの魂を、食べないし、食べてなかったし、これからも食べない。

もう手遅れかもしれない。彼に残された時間がどれだけのものなのか、僕にはまったくわからない。だけど、でも、全てはこれから起こる、まったく未知の、わからないんだ、世界は。

奇跡は起こらなかった。

ひとりの人間がいて、その人間が好きな馬にお金を賭けて、馬も人も負けてしまった、それだけのことだ。

どこにでもある、何度だって繰り返されてきた、平凡な人間の、平凡な日常。

それだけ。

だから僕は来週も競馬をする。楽しいから、当たると嬉しいし、外れたら悔しいから。人間だから。

誰かの楽しいという気持ちや、嬉しいという気持ちや、悔しいという気持ちを嫌悪し、呪詛してきた日々は、終わった。

今日僕は変化していくlifeを選んだ。

これからは、当たり前の感情を、当たり前に消費していくよ。

おわり。