いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

自分のために歌われた歌など無くてもいい

 僕は昔、ミステリが好きな少年だった。
 何百ページにも渡って宙吊りされ続けた謎が、名探偵によって全て解き明かされる、その瞬間、本当の意味で世界には光明が差し込む……。暗転。僕は生まれ変わっている。虚構の上で何度も生と死を追体験する。その小説を読み終えた僕と、それを読む前の僕とは全くの別人だ。僕、生まれた。ブックオフすらない地方都市の片隅で、リサイクルショップやゲームショップに申し訳程度に存在する古本コーナーから探し出した小銃を頭に突きつけ、引き金を引くのだ。ゆっくりと、だけど、目を輝かせ、震える体を必死に押しとどめて……。
 カチン。
 パチリ。
 教室に居場所がないわけではないけど、クラスの中心グループには体のいいネタ枠として扱われ、隅っこに固まるオタクグループはカードゲームかテレビゲームの話しかしない。放課後、友達はみんなそれぞれの部活動に向かい、帰宅部の僕は一人、夕焼けに染まる土手沿いの道をペダルを漕いで進む。帰り道、古本の品揃えが変わらないことを承知でリサイクルショップやゲームショップに立ち寄る。本当に読みたい本はここには置いていない。アマゾンはあるにはあるが、送料のことを考えると多用はできない。なにせ、当時の僕は月に3000円程しかお小遣いを与えられていないのだから。本を買い、CDを借りる以外には一銭も使ってはならないのだとかたく誓うが、それでもとてもじゃないけど足りない。
 とにかく、欲望に対して、何もかもが足りてなさすぎる。僕はここではない、どこかに行きたかった。僕ではない、何かになりたかった。
 家に帰り、鞄に放り込んである文庫本を取り出す。
 カチン。
 パチリ。
 そんな僕もやがて高校を卒業し、大学へ通うため大阪へ出てくることになる。行動範囲に古本屋がいくつもいくつもいくつも存在する事実にときめく。グーグルマップに丁寧にブックマークをつけ、休日のたびに電車を乗り継ぎ旅に出る。ジグソーハウス、天牛書店、ブックオフ難波戎橋店、まんだらけブックオフ大阪心斎橋店、南海なんば古書センター……。四天王寺下鴨神社で行われる古本まつりにも足を運んだ。毎日、背中に激痛が走るまでリュックに古本を詰め込み、棒になった足をさすりながら、それでも満ち足りた気分で帰路についた。全てが新鮮だった。ハヤカワポケミスや創元文庫なんか、僕の街にはなかった。ここには読むべきミステリが山ほどある。知らない作家もごまんといる。毎日のように新しい作品が世に出て、望めばそれを発売日に購入することができる。夢のようだった。僕は貪るようにそれらを読んだ。緻密に練り上げられたストーリー。あっと驚くような展開。物語を彩る様々な舞台設定。魅力的で愛すべき登場人物たち。誰も考えつかないような突飛なトリック。そして、愛と祈り。
 だが、どんな新鮮な出来事にも、人は慣れてしまう。
 僕はやがて、ミステリたちに真剣に向き合おうとしなくなる。もともと、ジャンルの壁をあの手この手で破壊してきたメフィスト賞作品ばかり読んできたせいもあり、手に汗握るストーリーや展開はどれも似たような感じで楽しめくなり、舞台設定や登場人物をきちんと把握する努力もせず文章をただ流し読みするようになり、トリックに至っては感心すらなくなる。どの本を読んでも同じに思えてしまう。確かに僕の中にもあったはずの愛はどこに消えてしまったのだろう?自問。週末に古本屋を巡ることをやめる。プリパラを始め、高橋源一郎古川日出男山下澄人、果てには中原昌也を読み、小説を鼻で嗤い、小説を真摯に読んでいる人間を鼻で嗤い、小説を真摯に書いている人間を鼻で嗤い、代わりにヒップホップを聴くようになり、競馬にハマり、深夜にアニメを観てはかわいいキャラクターのエロ同人をDLsiteでdigる日々……。
 どこで踏み違えてしまったのか?ミステリを愛するキッカケが佐藤友哉だったことがいけなかったのか?本を読んだらまずネットで他人の感想を眺めそれと自分を同化させることで何かを感じとったフリを続けたのがいけなかったのか?アガサ・クリスティーエラリー・クイーンをきちんと読まず、メタや叙述トリックや密室という単語にばかり反応してきたのがいけなかったのか?
 そもそも僕は本当にミステリが好きだったのか?好きな作家がたまたまミステリに偏っていただけで、ミステリというジャンル自体には何の思い入れもないんじゃないのか?自問。小銃をこめかみに突きつけても、もう昔のようにはなれない。
 カチン。
 パチリ。
 カタルシスは与えられず、やがて僕は大学を卒業し、ついに社会人となる。
 状況は何も好転せず、むしろ悪化する。本を開くどころか、本屋に行くのも億劫になる。途端、新しい作家や作品の情報は入ってこなくなり、たまに気が向いて本屋を覗いても困惑するだけになる。あれだけ大切にしていた本棚には埃が積もり、最早タイトルの判別すらつかなくなる。日々の更新に耐えられず、昔読んだ本の内容を片っ端から忘れていく。本のタイトルと作者名と内容が結びつかなくなる。性格も暗くなる。プリパラも辞め、馬券は適当に買うようになり、深夜にはアニメも観ず無料エロ動画で惰性で射精する日々……。なぜこうなってしまったのかと自問することすらやめる。24、25、26と歳を重ね、やがて三十路に突入する。もうヒップホップも聴かなくなってしまう。代わりに年金や選挙、青羽ここなや人生設計という現実的な事柄だけが脳みそを占拠するようになる。増え続ける体重を危惧しジムに通うようになり、唯一の娯楽は銭湯上がりに飲む一杯のビールになる。家ではユーチューブで漫才や雑談配信の切り抜きばかり眺め、腰は衰え、友人も恋人もおらず、昔好きだったアニメの主題歌を聴き、あれだけ憎んでいた地元での生活を懐かしむようになる。本棚とその中身を全て売り払い、代わりにソファを買い、そこで天井のシミばかりを数え始める。会社以外ではコンビニの店員くらいしか話す相手もいなくなり、両親から結婚という言葉を聞くこともなくなる。会社では自分より先に出世していく後輩たちに何も感じなくなり、同期の名前すら出てこなくなる。代わりに、スーパーの精肉コーナーで将来何になりたい?と我が子に尋ねる父親の姿に自分を重ね始める。結婚して家族もいる兄弟と顔を合わせるのが苦痛になり実家にも寄り付かなくなる。意を決して婚活パーティーにいくが誰にも相手にされず、漫画雑誌はモーニングしか読まなくなり、休日はユニクロのシャツしか着なくなる。死ぬのをただ待つ老人と自分とで一体何が違うのか。わからない。
 ただ一つ、わかっていることはこれはあり得たifの話で、実際にはこうはならず、それはなぜなら『カササギ殺人事件』を読んだからに他ならないからだ。そこには緻密に練り上げられたストーリーがあった。あっと驚くような展開があった。物語を彩る様々な舞台設定があった。魅力的で愛すべき登場人物たちがあった。誰も考えつかないような突飛なトリックがあった。そして、何よりそこには愛があり、祈りがあった。ミステリというジャンルへの、誠実な祈り。それに呼応し、僕の魂は今一度、思い出す。夕焼けに染まった土手沿いの道を。リュックのなかに詰め込んだ、溢れんばかりの愛すべき小銃を。
 おめでとう。
 また、会えましたね。
 こんな日が、いつか、やってくることを願っていたよ。
 僕は昔、ミステリが好きな少年だった。
 そして、今は、ミステリが好きな青年だ。
 僕は未来を変え、未来を変えることで過去を肯定する。そして、現在を更新する。
 カチン。
 パチリ。
 目を開くと、そこには。

 おわり。

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)