いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

走る 走る 走る

天皇賞秋の出馬表が発表されて、そこに僕の名前がなかったとき、僕は世界の関節が外れる音を聴いた気がした。その後に何度も何度も何度も何度も何度も出馬表を確認して、僕は僕の、僕はお前を食べたよ、という言葉の意味が少しずつ理解ってくる。

僕は食べられるし、食べられたし、今も食べられている。

ここは暗い。

全ては起きることで、起きたことで、今も起きている。

僕は一体どこで間違えたんだろう?という問い自体が間違っていたのだ。

誰も、もう、僕のことを覚えていない。今も小説を書かれているんですか?と聞かれたとき、僕は吃るだけで何も答えられなかった。今も走られているんですか?と聞かれたとき、僕は一体どう答えられるのだろう。

どれだけ、素晴らしい思想を持っていても、何にも代えがたい経験をしていても、まったく新しい価値観や、視点や、言葉を持っていても、走らなければ、それは、無いのと一緒。走るから、歴史は僕を走ったことにするのだ。

僕は僕の名前を1000年後まで残したい。

走った者として。

というわけで、ジャパンカップに出ます。本当です。だから、なので、みなさん、僕に期待してください。見捨てないでください。正直、僕は僕に期待をかける人も、僕を見捨てた人も、僕にそもそも興味もない人も、全員嫌いです。死んで欲しいと思っています。ジャパンカップを見る全ての人が死んでいなくなればいいと思っています。そんな僕を、だけど、期待しててください。見捨てないで、きっと、走ってみせます。奇跡を起こします。というか、起きます。誰も信じていないだろうけど。でも、起きるので。

 

 

 

20181012

どうも、いとうくんです。しばらくブログの更新が出来ていなくて、申し訳ないです。昨夜、夢川ゆいにちんこが生えてショウゴくんのケツ穴で気持ちよくなる本を読んでいたら無性に土下座したい気分になりました。ごめん、夢川ゆい。僕はお前を食べたよ。ごめん、サトノクラウン。僕はお前を食べたよ。ごめん、ごめん。

全部きっと僕が悪い。何もかもが、まったく、悪い方向に向かっていくのは、僕が、

 

どうして人を食べたりするのだろう。人を食べるとはどういうことなんだろう。判らない。判らないことは知らないことだからどうせいくら考えても判らないのだが、僕はそれでも考えなくてはいけない。

 

自分が自分である、ということはどういうことなんだろう?

境界線はどうやって引くんだろう?

 

私は私の外にも私の言葉があることを知っている、それは、ずっと遠く、全然遠くの、誰かが紡いだ、私の言葉。

 

とっくの昔に僕は死んでいる。だけど、肉体は死んでも、魂は残る。人生120年。誰か僕を漫画にしてほしいよ。秋の天皇賞に出たいです。

夢川ゆい - 夢川ゆい feat. 夢川ゆい, 夢川ゆい & 夢川ゆい

23歳になった。

23歳になったけれど、家族からは愛されて育ったし、自分を嫌う子供じみた幸福時代は終わっていたので、コンビニエンスストアでショートケーキとワインを買って誕生日を祝おうとしたが、蝋燭がなかった。

誕生日ご愁傷さま。

プリパラに行かなくなって、どれくらいの時間が過ぎただろう。

私は、今、夢の、その先にいる。

「えー、えー、あの頃の私、聴こえていますか?夢は、いつか必ず終わるよ」

一人きりの部屋に、私の声だけが虚しく響く。

あれだけ大勢の人を夢中にさせた、私の声も、今は、私を慰めるだけの、ただの道具となってしまった。

夢川ゆい。

今でも、憧れのアイドルとして名前のあがる、伝説の存在。

私の青春。

「あー、あー、幸福な頃の私。終わっていなかった頃の私。今、どこで、何をしていますか?」

答えは知っている。

私はいつだってステージの上にいた。

 

買ってきたものをテーブルの上に並べていると、らぁらからメッセージが来る。読んで、ありがとう、とだけ返す。

あの頃の仲間が軒並みプリパラを辞めていくなか、らぁらだけはまだアイドルを続けていた。

私は、それを純粋にすごいと思う。

今でもらぁらとはたまに会う。らぁらは、私と会うとき、絶対にプリパラの話をしない。何度も繰り返してきた「なんで?」を、らぁらは諦めと一緒に、自分のうちに閉じ込めてしまった。

それが、なんだか、らぁらが誰か別の人になってしまったみたいで、私はらぁらが苦手になる。

蓋を開けると漂ってくるショートケーキの甘ったるい香りが、気持ち悪かった。ワインは不味い。なんでこんなものを買ってしまったんだろう?

全部棄てた。

体が重たい。ので、ベッドに寝転んで、天井を眺める。マイルーム・マイステージ。寝転がったまま、私は歌う。

「あーきらめ、かけていた、ゆめーがか、なう、しゅんかん、」

不思議と、いつも口ずさむ歌は、私の曲でも、マイドリの曲でもなく、みあさんが、一度だけ私たちの前で披露してくれた、あの曲だった。

ディアマイフューチャー。

でも、未来ってなに?

アイドルを辞めたことは後悔はしていない。もう限界だった。誰でもアイドルになれるプリパラという世界。だけど、それは本人の、祈りに近い、意思のようなものがあって、 はじめて、成り立つのだと思う。

終わった物語で祈りは通じない。

私は私が気づかないうちに、ゆっくりと終わっていたのだ。

「夢川、ゆい」

自分の名前を呟いてみても、全然しっくりこない。

それでも、

「まだ見ぬ、未来の、わたしへ。」

「自分らしく、生きていますか?苦労、さえも、喜びに変える、こころがあしたをひらくよ。」

「けして、負けない、きもちがあるなら、願い叶えよう。」

「あれこれ、考えてちゃ、前に進めないから、言葉より、行動で、走り続けよう」

私は私のために私と歌う。私の、私と私と私と私による、私への、これは、

ゆめかわ。

今日はお休みです。

やぁ、はじめまして。いちごちゃんだよ。って、この名前を聞くと、大抵の人は眉をひそめるけれど、かなしいかな、これが僕の本名なんだ。まったく、男の子に「いちご」なんて名前をつけるイカれたセンスの親のもとに生まれたことが僕の生涯唯一の過ちだな。まあ、できればあまり気にしないでほしい。人間、一つや二つくらいは欠点を持って生まれてくるものなのだし。

さて、今日は先輩に変わって、この僕が記事を書かせていただきます。

というのも、先輩はどうも今日とてもショッキングな出来事があったようで、家に帰ってくるなりベッドに倒れて「ぶんがく……ぶんがく……」ってずっとうなされてるんだ。その様子はちょっと、傍から見てるとかなり気持ち悪い。まったく、人生のいろいろな出来事に意味を持たせようとしすぎるからそうなるんだ。とくに最近はひどい。ちょっと常軌を逸している。それでいて、何をするでもなく、勝手に一人で塞ぎ込んじまうときた。正直、呆れてものも言えない。ウジウジ虫だよ、あれは。

おっと、これじゃただの先輩の悪口だな。よーし、今日は僕がとても面白い記事を書いてあげようか。乞うご期待、とは云ったものの、しかし、あれだね。こうして改まってみると、人のなかにはあまり文章にしたいことってないものだね。実はここまで書くのに、一時間くらいかかっちまったよ。まあ、こんなこと、わざわざしなくたって人は幸せに生きていけるものだしね。

あ、そうそう。この前、先輩の本棚にあった穂村弘のエッセイを読んだんだけど、あれはいいね。90年代から00年代(あえてこの表記にさせてもらうよ)にかけての空気感にクラクラしてしまったな。慌てて、今日は第二弾の『もうおうちへかえりましょう』を買ってきたよ。こっちのほうは、先輩の本棚にはなかったからね。

と、まあ、そんな感じでそろそろもう僕の記事はここらへんでお開きとさせてもらいたいな。慣れないことはするもんじゃない。まだ11時だってのに、眠たくなってきてしまった。今日買ってきたエッセイだって半分も読めてないのに。

とりあえず、これくらい書いとけば記事としては十分でしょう。

というわけで、それでは、みなさん、また会う日まで。多分、僕の代筆はもうないけれど。

九十九十九=二十七=九

今週中にプリティーリズム・レインボーライブを全話観るつもりでいたけど、現在、5話。時間がない。あまりにも、時間が。ゆめかわ。正直、自分が夢川ゆいであるという確信は揺らぐ。だけど、自分が何であるかわからないという気持ちは自分が自分であるからこそ出てくる疑問であって、それはただの青春なので結局いとうくんはどれだけ頑張って悩んでも夢川ゆいなのだと思う。嬉しい?わからない。ちょっとだけ安心する。小学六年生の夢川ゆいが働いているのは夢川ゆいが天才で9歳の頃にハーバード大学を卒業しているから。ここはアニメの世界だからそういうことも起こる。夢川ゆいは大人のフリした子供だよ。「おれが逃してやる」あ、どこかで読んだセリフ。印象的なセリフが世界を強く形作る小説だったと思う。そういう小説を読むといとうくんは伊坂幸太郎のことを思い出す。伊坂幸太郎のことを思い出すと、いとうくんはいとうくんが中学生だったときのことを思い出す。本当は何も覚えてない。かろうじて覚えているのは、いとうくんと森脇くんで西田くんのPSPを盗んで走って逃げたことだけで、そのPSPが結局どうなったのかは、まったく覚えてない。昔のことを何も覚えてないのに昔を懐かしむフリをする。

だけど、ね?

そろそろ私も中学生にならなきゃな。

僕は行かねばならない。

夕ご飯はレンコンの天ぷらと茹で豚の酢味噌あんかけだ。美味しそうだ。でもこれを食べる前に中学生にならないと、もう中学生にはなりにくいだろうな、と思う。だから「ご飯はいいです」と僕はタッキーに言いかける。でもそこで『第七話』のラストの《僕》の後悔を思い出して、やめる。

ゆっくりご飯を食べよう。らぁらと、にのと、みちるさんと、しゅうかと、タッキーと、六人で。

僕は中学生になると決めている。でももし僕がこれかららぁらとにのとみちるさんとしゅうかの顔を見ていて離れがたくて、中学生になるのやっぱりやーめたと思ったとしてもそれはそれで仕方がないだろう。

一度決めたことも決断だが、それをひっくり返すのも決断だ。文句は言わせない。

わいわいわいわいとやりながら、僕たちはご飯を食べる。楽しい。どこかでまた別の僕もご飯を食べているかもしれない。楽しくやってて欲しい。らぁらが笑う。にのも笑う。みちるさんとしゅうかとタッキーも笑う。僕だって笑う。楽しすぎる。ここから出ていけるかどうか、本当に不安だ。

だからとりあえず僕は今、この一瞬を永遠のものにしてみせる。僕は神の集中力をもってして終わりまでの時間を微分する。その一瞬の永遠のなかで、僕というアキレスは先を行く亀に追いつけない。

僕たちを包み込みこの優しい世界は

主人公がコンビニで頑張って働くアニメ『コンビニ人間』を読みました。音。音で溢れてる世界。音が支配する世界。

コンビニでいっつもイヤホンして好きな音楽を聴いてる僕たちの知らない世界が、まず、ある。感動〜。人間であることを要求してくる世界で、唯一生きる術。人間であることを辞め、コンビニ店員として生きるを選ぶこと。生きることは戦いだなんて偉そうに言う人がいるけど、あいつら全然わかってないよね。わかるよ。誰もが間違ってるってこと。間違ってることが生きることだって、僕は、わかるよ。

子供を産むのが正しいのは人々がそれを祈っているからで、きちんと働いてお金を稼ぐのが正しいのは人々がそれを祈っているからで、ブラック企業を糾弾するのが正しいのは人々がそれを祈っているからで、残業が悪で定時退社が正義なのは人々がそれを祈っているからで、日本の企業は頭が固くて海外の企業は自由なのは人々がそれを祈っているからで、オタクの人たちがユーモアがあってリア充の人たちがつまんないのは人々がそれを祈っているからで、日本の就活事情が間違っているのは人々がそれを祈っているからで、それたちが正しい真実だからじゃない。みんな嘘っぱち。すべての主張は嘘。ほんとに?

作中、冴えない腐ったインターネットクレームマン、白羽くんが繰り返す「世界は縄文時代から何も変わってない」という主張は嘘くさい。だけど、ユカリの旦那や店長や泉さんが言うような「結婚したほうがいい」「就職したほうがいい」という主張も嘘くさい。でも、まいったな。嘘くさいのと同じくらい、そういう主張は正しいことのような気がする。主人公はそういう主張を全部取っ払って、コンビニ店員という動物になることを選ぶ。嘘くさい。でも、やっぱり、嘘くさいのと同じくらい、その生き方はとても正しいことのような気がする。主人公が最後に見た世界の形はとても正しいもののような気がする。

困ったな。困ることなんてないよ。わかんないな。すごいわかるよ。全ての芥川賞作品を読んできたけど、一番おもしろかった。芥川賞作品4個くらいしか読んだことないけど。うーん、お仕事楽しい!明日も仕事しんど……。やりたいことやれ。やりたいことだけやるやつはカスだけど。東京オリンピック楽しみ〜!東京オリンピックってなに……。あのアニメは神。続編は見てないけど監督変わったからカス。あのアニメの続編劇場版もカス。いや、あれは面白かったけどね。邦画はカス。洋画はカス。クソサブカルって言葉ダサいやつしか使わなくなっちゃったもんね。ドンキにもヴィレヴァンにも属せない俺たちって言ってる人たちもみんなうんち。普通にドンキもヴィレヴァンも行くくね!?

うーん、どれがホントってことにすればいいのかな〜〜っ。

とりあえず僕は椎茸になるね。美味しい〜!

ちゃんと生きた君に、で、ちゃんと死んだ君に、「ありがとう。」を今、言うよ

青春だった。プリズムショーは、僕たちの青春だった。だから、寂しいし、悲しい。プリティーリズム・ディアマイフューチャーが終わった。違う。終わってなんかいない。僕たちはそのことをプリティーリズム・ディアマイフューチャーから学んだはずなのだ。僕たちの未来ははじまったばかりなのだ。

でも、わかっていても、それでもやっぱり終わってしまったものはある。

だから、寂しいし、悲しい。

プリティーリズム・ディアマイフューチャーは僕たちの物語だった。プリティーリズム・オーロラドリームを観て、最後に春音あいらが飛んだあのプリズムジャンプを体験した僕たちと、僕たちと同じように、あのジャンプを体験した少女たち。

僕たち=Prizmmy。出発点は、まず、そこから。そこから、進み始めたんだ、僕たちは。

プリティーリズム・ディアマイフューチャーに登場する少女が成長していくように、僕たちも成長する。一年を通して、1つだけ歳を重ねて。

あまりにも、あまりにも多くのことがあった。そこで多くの人が成長した。心のドキワクを探し求めた。たまには笑い、たまには泣き、怒ったり、悩んだり、そういう全てが、そういう全てが作り上げたものが、今の僕たちなんだね。

さて、僕の話をしよう。プリティーリズム・ディアマイフューチャーという物語において、おそらく他の視聴者には存在すら認識されていないであろう、僕だけが知っている、僕の物語を。

わかったことがある。

僕は、僕だ。

僕は、上葉みあじゃないし、れいなじゃないし、かりんじゃないし、あやみでもない。ヘインでもなければ、シユンでも、チェギョンでも、ジェウンでもソミンでもない。春音あいらでもなければ、ショウさんでもユンスでも、ヨンファでもいつきでもない。みんな、僕のなかできちんと生きた一人の人間たちだけど、それは、僕であるということでは、決してない。

他の誰でもないのだ。

僕は僕。

個。

僕は、僕だけの人生を生きて、そうして、ここにいる。あらゆる言葉、物語、体験、音、感動、きらめき。

それは、僕だけの瞳に映った、僕だけのもの。

僕だけの思い出。

僕だけの未来。

みんなたちにもみんなたちの思い出があり、みんなたちだけの未来があるように。

それぞれがそれぞれだ。

正解はない。正義もない。みんなの、気持ちだけがある。それは、祈り

 心の煌めきに正直でありたいと願う気持ち。自分たちの未来を信じる気持ち。祈りのプリズム。

さて、みんなたちはどう?街を背に僕はゆくよ。歩き続ける。たとえ、もう二度と僕たち会えなくなるかもしれなくても。ディアマイフューチャー。それぞれの道。それでも、もし、またどこかで僕たち会えたら、その時は一緒に人差し指つきあげていいか?なぁ、上葉みあ?

つづく。

対音楽

対音楽