いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

世界②

僕(いちごちゃん)は送られてきた記事(http://ito-67890.hatenablog.com/entry/2019/02/10/140918)を読み終えた。そして云った。

「いつも思うんですけど、先輩の感想文って我が出すぎてて気持ち悪いですよね」

ガッ、と先輩が叫び声をあげて固まる。そのリアクション、ギャグでやってたらどうしよう……。面白くなさすぎて反応に困る。こういうときはスルーが無難だ。僕は先輩に構わず感想文の感想を続けることにした。

「それに、なんで本の感想を書くのにわざわざ嘘をつかなきゃいけないんですか?そもそも先輩が読み返したのは『きみとぼくの壊れた世界』じゃなくて『不気味で素朴な囲われた世界』だし、それにそれを読んだのだって今日の午後ですよね。先輩、午前中は二日酔いでずっと死んでたじゃないですか。ずっとゲロ吐いてたじゃないですか」

素敵な休日を過ごしている風を装いたくて無理やりカフェの写真とか載せる女子大生でもあるまいし……。それにもし素敵な休日を過ごしている風を装いたくて午前中に本を読んで二度寝したことにしたのだとしたら、先輩の素敵な休日のイメージが貧困すぎて泣けてくる。

「で、ホントのところを聞かせてくださいよ。どうでした?西尾維新なんて読むの、久しぶりだったんですよね。中でも先輩は『不気味で素朴な囲われた世界』はとくに好きだったと記憶していますけど」

うーん、と唸ってから、先輩は語りだした。

「まあ、面白かった。これについてはどういう話だったかそれなりに記憶していたし、だから、当時もやっぱり印象に残っていたんだと思う。でもどうだろう。読み返してみて感じたのは、『思ってたほどじゃないな』だったよ。もちろん、再読で、しかも今度は話の筋をある程度覚えている状態だったから、真相が明かされたときのインパクトが弱いってのはあるとは思うんだけど

「ただ、それを抜きにしても、やっぱり、初読時に感じた感動はなかったと思う。これはどういうことだろう、と僕は考えたんだけど、たぶん、慣れちゃったのが問題なんじゃないかと思うんだよ

「と、いうのも、僕がこれを読んだときはようやくミステリのミの字を知りはじめた頃の話でさ、やっぱり、だから、『後期クイーン問題』とか『操り』ってワードには心躍らせていたわけですよ

「でもどうだろう。今はそれなりにミステリの酸いも甘いも知ってさ、その手のワードにも、あの頃みたいに純粋に反応できないわけだよ。それでなくても、僕、最近はすっかりミステリを読まなくなってしまっていたわけだし。

「だからなんだろな、ちょっとショックだったんだ。自分の、あまり好ましくない変化を突きつけられたようで。ちょっとね、センチな気分になってしまったんだよ。うーん、だから思わず読んでいない本の感想を書いてしまったのは、そういう僕の心境があってのことで、そんなにボロクソ云わんといてほしいというのが正直なところです」

あっそう。どうでもよかった。

世界①

僕(いとうくん)はちょうど読み終わったばかりの『きみとぼくの壊れた世界』を放って改めて布団にくるまった。なんて寒さだ。まだ外の景色を見ていないからわからないが、今日は雪が降るらしい。まあ、こんな日の早朝から起き抜けに読み残していた小説のエンディング部分を読むというのも悪くはない。そこから、今度は二度寝に突入しようというのだから、三連休の出だしとしては及第点といったところだろう。うーん、しかし。たしかこの小説を前に読んだのは僕が大学1回生の頃で、あれからすっかり時間が経っているとはいえ、こうまで内容を覚えていないというのは、まあ毎度のことながら、自分にがっかりせざるを得ない。なんで、こうもポンポンといろいろなことを頭の中から抜け落ちさせてしまえるのか。我ながら情けなくなる。おかげさまで小説を読み返すたびに新鮮な気持ちで楽しむことはできるが……。『きみとぼくの壊れた世界』にしたってそれなりに楽しめた。僕は決して西尾維新の良い読者とは云えないけれど、世界シリーズについては好意的なつもりだ。一番好きな小説は『少女不十分』だけど。唯一最後まで読んだシリーズは戯言シリーズだけだけど。しかし、西尾維新も腐ってもメフィスト賞作家。ミステリについて書かせるとやっぱ気持ち悪い。でも読み返してみて僕が一番印象に残ったのは病院坂黒猫の援交だろう。そういうのには弱いんだよ。モロ性癖なのだ。

日記です

たくさん本を買った。たくさん、と書くとバカな人たちがたくさんってどれくらいですか〜???とバカにしたような目で訊いてくる。本来ならバカの相手をしている暇なんてないが、それではバカの人たちがずっとバカなままでそれはあまりにも忍びないので特別に僕は回答する。本をたくさん買った、というときのたくさん、とは2冊以上のことを指します。おめでとう!これは日記です。まず土曜日、朝早くに目が覚めたので駅前の本屋へ。『火事場のバカIQ 申』(榎本俊二と木下古栗の共通点について考えさせられる)と『ものするひと②』(漫画はすごい)を買う。帰り道に古本屋で『死が二人をわかつまで』(青春)『その可能性はすでに考えた』(青春)『死刑』(たぶん読まない)『現実宿り』(坂口恭平って誰なんだ……)を買う。その後ライブを観に行くために下北沢へ行く前に新宿紀伊國屋へ行く。『アオイホノオ⑳』を購入。下北沢までの電車のなかで読む。細野不二彦って誰なんだ……。ホノオくんが漫画家になってから感情移入が難しくなってしまったのがかなしい。下北沢では『絶対安全文芸批評』(佐藤論が載ってたので)『書くことについて』(王の言葉)『化石少女』(麻耶雄嵩って誰なんだ……)を買う。カバンが重くなる。京都に帰りたくなる。京都に住んだことなんか一度もないのに、京都に住んでいた記憶だけはしっかり残っていて混乱する。頭の奥にある、鴨川の橋の下で殺人鬼と一晩語り合ったこの記憶はなに?混乱しているとライブが始まる。生まれてはじめてMCバトルを生で観た。みんなうまくてびっくりした。想像以上にたくさんのラッパーがいたことにもびっくりした。すごい。このなかを生き残っていくのは大変だ、と他人事ながら思った。ま、ヒップホップに限らず、どこも似たような状況なわけだけど。需要に比べて供給が多すぎる……。終わったあとハハノシキュウと少し話せたのでよかった。わーい。でもタバコの煙がすごくて体調が悪くなったので瞬時に帰った。夜は明けて日曜日。映画を観るために渋谷に行く。映画は埋まっていて観れなかった。予約というものができないので足を運ぶしかない。まんだらけで『火事場のバカIQ 午』(天才)『火事場のバカIQ 羊』(鬼才)『All those moments will be lost in time』(西島大介の本はおもしろいのとおもしろくないのの差が激しい)『あどりぶシネ倶楽部』(細野不二彦って誰なんだ……)『もう安心。』(とり・みきの漫画は一冊だけ読んだ記憶があるけどなんてタイトルだったか覚えてない)を買う。それからKOHHVRのやつを観る。KOHHと目線があってドキッとした。上下に椅子が動いて怖かった。人が多すぎるので中野へ。ここも人が多い……。まんだらけで『手品先輩①』(おっぱい)『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション⑤』(どんな話だったか忘れた……)『つるつるとザラザラの間で①』(青春)を買う。腕が痛いので一旦荷物を家に。それから銭湯に行く道中に『おはなしして子ちゃん』(芥川賞作家)を購入。少しだけお酒を飲んだら眠たくなったので帰る。そして、眠る。朝になって目が覚める。嫌だなと、うだうだ10分くらい布団のなかでウェブマンガを読む。外は寒い。でもずっとこうしているわけにもいかないし、もういい加減起き上がらなきゃなと思いながらも起き上がれずに、週末に買って積み上げられたままの本たちを眺める。ただ本を買っているだけで、買った本は一冊も読んでないし、読む気もない。お金を使うことで心の隙間を埋めているだけで、何に消費するかはそこまで重要なことではない……。ただ消費するためのお金を今日も稼ぎに行く僕はまだ布団のなか。

イキルキス読んだ

僕にとって舞城の最高傑作は『煙か土か食い物』でも『ディスコ探偵水曜日』でも『世界は密室でできている』でも『九十九十九』でも『淵の王』でもなくて『ビッチマグネット』だと思っていて、僕は舞城王太郎が《名探偵》や《密室》や《サーガ》や《見立て》や《九十九十九》や《暗号》や《推理》やそういう過剰な道具を一切排除して舞城王太郎が書いてきた小説を、ずっと伝えてきたことをちゃんと書いていて僕は感動してしばらく呆然としていて今でも読み返すたびに同じ感動に包まれる。それから舞城はそういう普通っぽくて通的っぽい短編や掌編や長編を舞城王太郎ファンも呆れるくらいの数量産して僕もその退屈さにどれがどれでどういう話だったのかなんてまったくわからなくなってしまうけど、やはり読むたびに感動はあってその感動が別の短編を読んだ時と同じような感動であったとしても僕はまあ満足する。してしまう。好きだ。好き。退屈だったり通俗的であってもそれは決して退屈でも通俗的でもなくて本当は僕はそこから色々なことを学んでいて、楽しい。おんなじようなことの繰り返しなのは舞城王太郎が《名探偵》や《密室》や《サーガ》や《見立て》や《九十九十九》や《暗号》や《推理》でしか語れない本当のことを語ってきたように、退屈で通俗的でおんなじようなことでしか語れない本当のことがあるからなのだ。というようなことを考えながら『イキルキス』に収録されている「パッキャラ魔道」を読み返してまた同じところで感動して泣いてしまう。それは最後のお父さんの演説のシーンで、そのあとの長男の合唱のシーンで、最期の最後に語られる小説観で、でも僕はそのずっと前から、前の前の話「イキルキス」からすでに感動していてもうよくわからない。何がなんだか結局よくわからなくて、もしかしたらよくわからないフリをしているだけかもしれないとすら思う。言葉にしてしまうと単純化され陳腐化され通俗的に感じられて、僕にはまだそれに耐えうるだけのものがなくて、だからわからないフリをしてその何かを言葉にしないようにしているだけかもしれないけど、僕にそれを断言してしまえるだけの力すらない。僕は弱い。弱くて、か細い。何も言い切れなくて、何も決めきれなくて、何も行動できない。か弱い23歳だ。弱いだけの23歳だ。小説からしか何かを学ぶことができなくて世界への興味が希薄で仕事もできない23歳だ。これから色々なことを学びたいし経験したいし知りたいと思っている23歳だ。そしてもちろん生きていれば嫌でも学ぶし経験するし知る。だから安心して横たわる、僕の魂。

男神乱舞

まさかこの歳になって『古事記』を読んで感動することになるとは思わなかった。訳者は海猫沢めろん先生。この本が発売される前からずっと、海猫沢めろん先生の『古事記』、買わなきゃ、という思いはあった。しかし、本屋に行くと決まって記憶喪失にでもなったかように『古事記』のことを忘れてしまうのだった。僕の人生と、ボーイズラブや、『古事記』は、距離が少しだけ遠いのがいけないのかもしれない。そりゃ僕だって、女と女が絡むよりは男と男が絡んでいるほうがずっと好きだし、本屋で平積みされて映画にもなっているような本を読むよりは『古事記』を読むほうがずっとかっこいいと思うけど、でも、男と女が絡んでいるほうが興奮するし、ヒップホップを聴いているときのほうが痺れる。

なので昨日、海猫沢めろん先生の隣でビールを飲みながら、アッと思い出すまで『古事記』のことはすっかり忘れていた。ちょうどその日は紀伊國屋書店で何冊目かの『左巻キ式ラストリゾート』を買っていたのに、『古事記』のことは忘れていた(僕はいろいろな人に『左巻キ式ラストリゾート』を配るのが趣味なので欲しい人がいたらあげます)。

僕はすぐに紀伊國屋書店に駆け込み、どこの棚に『古事記』が置いてあるかもわからないので店員の人に頼み持ってきてもらい、買いました。自由な通勤時間に読みました。

以下、感想。

よかったところ

・読みやすい(正義)

・読んでいておもしろい(大正義)

・『古事記』が好きな人が怒り出しそうなところ(『古事記』が好きな人なんて、まさかいないとは思うが)

・歌の訳がかっこいい(狂気のなかにいる俺)

・あとがきがかっこいい(泣いた)

わるいところ

・キャラクターが多い(覚えられない)

・キャラクターの名前が難しい(覚えられない)

・展開がはやい(覚えられない)

点数で云えば百点です。仕事でつらいことがあったけど帰りの電車でこれを読んで元気になりました。『古事記』を訳しても海猫沢めろん先生の小説になってしまうところがすごいと思いました。明日もはやいのでもう寝ようと思います。(本当なら僕だってもっとうまくって、みんなが読みたくなるような感想も書けるんですが、月曜日からすっかり疲れてしまって眠たいことと、上手いこと云った風の感想ばかりが横行する現代インターネット社会への反抗としてこのような形式を取りました)山なし落ちなし意味なし。

BL古典セレクション(2) 古事記

BL古典セレクション(2) 古事記

 

 

あけましておめでとうございます

その日は久しぶりに銭湯に行かなかった。冬は寒い。とくに陽の沈んだあとは。新年があけても相変わらず忙しくて行き帰りの電車しか自由な時間がない。家に帰ると食事や洗濯といった繰り返しの営みがあってうんざりする。

新年になって変わったこと。

・銭湯に飽きた。

・高校生の頃からつけていた読書ノートをつけるのをやめた。

・電車のなかで本を読むようになった。

以上。

まず、銭湯に飽きた。毎週末、汚い脱衣所で服を脱いだりおじさんに混ざって熱すぎるお湯に浸かったり声の大きい大学生に眉を潜めたりすることにうんざりしてしまった。来週もここで僕は自分を慰めるのかと思うと、ちょっとゾッとするようになった。哀しいけど、全てのものは終わる。もうお湯に浸かることはありません。ここまでです。

同じように、読書ノートも終わった。本を読んだあとにペンを取るのが億劫だし、ノートを取り出すのも面倒だし、何より手書きで文字を書くということがまったくできなくなってしまった。漢字とか出てこんし。表紙の作者名とかじっくり見ても間違いなく書けてる気がせん。線とか点が足らん気がする。疲れるのでやめました。だから、今、たとえば僕が死んだら、僕が最後に読んだ本は石丸元章の『SPEED』になってしまうが、今のところ死後のことにまで責任を持つつもりはないので問題はないです。同様の理由から僕は部屋に転がる、いつつせ『ばっびゅ〜ばびゅばびゅ』もシオマネキ『公然ワイセツ彼女』もえいとまん『本能』も今すぐどうこうするつもりはない。放っておく。そこに僕の責任はない。

電車のなかで本を読むようになった、というのはそのままの意味です。最近本を読む楽しさに目覚めました。今ハマっている作家は西尾維新伊坂幸太郎です。よろしくお願いします。次は芥川龍之介とか読めたらいいなと思っています。本は全部torrentで落としました。漫画とかも漫画村で読んでます。

さて、2019年は飛躍の年にしたいですね。月並みで申し訳ないですが。当たり障りもなくて本意ではないですが。2020年はオリンピックに出たいのでそれなりに急がないと僕はいけないんだよ。

つづく

ここは寒い

玉川上水沿いの道をずっと歩くといつの間にか周りが森の中になっていてそれを抜けると家とかがあってその先に学校があった。そこで立ち止まって、川のなかをじっと見つめるけど、僕の姿はどこにもなかった。諦めて暗くなった井の頭公園を歩いた。なんの頼りもなかった。どこからが井の頭公園なのかも正直よくわかっていなかった。だから、今、歩いているここが、井の頭公園かどうか、本当のところ、僕は知らない。歩くと、たまに人がいた。人がいないときは、どこにも人がいなかった。寒かった。足元がとくに冷たくなっていた。足を動かすのがしんどかった。風が容赦なく吹いた。頭が痛かった。あんまり昨日とかの記憶、なかった。悲しい。人がいた。いた気がする。かなしい、ということについての小説を読んだ気がした。あんまり昨日とかの記憶がなかった。

頭が痛かった。

お風呂に入って20分も経たずにあがった。気持ちが悪くなったからあがった。治っていた気持ちが悪いのがぶり返してきた、と思った。だからお風呂をあがった。20円入れてドライヤーで髪を乾かした。夏だったら、タオルでばあああって髪の毛を吹いて、それで外に出ちゃってたけど、今は寒いからドライヤーを使うようにしている。パンツを履きながら、本当はお風呂に入る前にスターバックスで本を読んでいたことについて考えた。だけど本の内容を忘れてしまったから、そのことはあえて書かないでおこう、と決めた。結局書いてしまった。

お墓にお参りに行くと、小学生のとき、お盆で、死んだおじいちゃんの仏壇の前で新しいビーダマンがほしいです、お願いします、とお願いしたのを思い出す。なんで僕たちは死者に向かって祈るんだろう?ビーダマンがほしいのなら、死んだおじいちゃんじゃなくて、生きているお父さんやお母さん、せめておばあちゃんに頼むべきだと思うんだけど。

僕たちはつい、必要以上に、感じてしまう。死ぬ、ということについて。死んだ人、というものについて。

玉川上水の横を歩く前に僕はお墓参りに行った。お墓に行く道がわからなくてまわりをウロウロしてしまった。足が冷たかった。指先がかじかむからポケットに手を突っ込んだ。耳が破けてしまわないようにフードを被った。寒かった。こんな日に、川に飛び込んだら死んでしまうな、と思った。もちろん、こんな日じゃなくても。

流れる水は冷たい。

正直何も感じてなんかいなかった。たぶん。自分の感情に自分で判断がつけられるってのなら、人はここまで苦労しない。苦悩しない。そういうシステムに感謝する。

お墓の前で、あんまり人の悪口とか言わないようにしたいです、と祈った。死者に向けて祈っているように見せかけて、実は僕の心に向けて祈っていた。たぶん。はっきりとしたことはわからない。相変わらず周りに人はいなかった。どこにも誰もいないから誰のことも悪く言う必要はなかった。如是我聞。