いとぶろ

いとうくんの楽しい毎日

ミス研やめました

久しぶりにミステリを読んだらあまりにも面白かったので思い切って14年間ほど在籍していたミス研をやめました。楽しかったのは最初の数年だけで、徐々に派閥争いや知識マウント、おすすめ本の押し付け合いがひどくなり、最後の数年間はほぼ義務感だけで読書会に足を運んでいた。

僕はミス研の人間を増悪しはじめた。

そしていつしか、それはミステリそのものへと向き始めた。

だからミステリなんて、とっくの昔に興味もなくなっているはずだった。

そんなことはなかったね。ただ、そう思いたかっただけだったよ。

さて、晴れて自由になったので、今日はここ数日で読んだミステリの感想を書こうと思います。

まず僕はジャック・ケッチャム隣の家の少女』を読んだ。

 お、おもしろ……っ!隣の家に住んでいる少女が家族ぐるみで虐待を受けて最後は死んでしまうだけのお話なのになんなんですか、この面白さは。す、すごすぎます……!

ラーメン屋の行列を待つ間に読んだけど、ラーメンの味がよくわからなくなるくらい没入した。

感じたのは、大事なのは無力な傍観者に読者を肩入れさせること。そして加害者にも被害者にもなりうるという緊張感。(実際、読者のそばに立つデイヴィッドは作中唯一の傍観者ではあるが、しかしメグの性的な虐待に惹きつけられてしまう加害者でもあり、ルースに地下室に閉じ込められる被害者でもある。)

感動した。

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

 

勢いに乗った僕は紀伊国屋で本を買って帰った。

お風呂をためて、湯船のなかで城平京『虚構推理』を読んだ。お、おもしろ……っ!これを漫画化しない漫画界やこれをアニメ化しないアニメ業界に先はないと思った。調べてみたら漫画化してるし、アニメ化するとのことだった。僕は安心した。すごい。怪異譚とミステリをここまでのバランス感覚で尚且とんでもなく面白く書けるのは城平京だけ!

知らないけど。

でも本当に面白い。

ストーリーは結構わかりやすくて、人々の想像力によって生まれた怪異『鋼人七瀬』を倒すため、その想像力の源となっているネット掲示板の人たちと戦うという話。

つまり、『鋼人七瀬は亡霊ではない』ということをネット掲示板の人たちに思わせればいいということなんだけど、それはネット掲示板の人たちを論破するということじゃなくて、『鋼人七瀬は亡霊である』という虚構よりも人々が面白がる、信じたくなる虚構を、主人公岩永琴子ちゃんが作り上げるというのが楽しい。

さらにここに『人魚姫』と『くだん』を食べて『不死』と『未来決定能力』を得たもうひとりの主人公、九郎くんの存在が加わるからすごい。実際、『未来決定能力』がなければどうしたって次々に手のひら返しをしていくネットの人たちの反応はご都合主義にしか受けとれなかっただろう。

名探偵の推理を支える説得性の一つが『未来決定能力』という、うそっぱちの『虚構』なのだ。

こんなに痛快で面白いことはない。

あと、物語の終盤の琴子ちゃんの「虚構の中に虚構は生まれ、真実に裏返り、鋼人七瀬は消え去ります」というセリフには心底震えた。岩永琴子さん、結婚してください……。 

虚構推理 (講談社タイガ)

虚構推理 (講談社タイガ)

 

興奮した僕は、次に草野原々『これは学園ラブコメです。』を読んだ。お、おもしろ……っ!

いわゆるメタラブコメ

学園ラブコメというジャンルを成立させるため、主人公・高城圭を巻き込んで虚構をつかさどる力が擬人化された存在・言及塔まどかが大暴れ!という作品。

一つ間違えるととんでもない痛いことになる、思いついてしまえる割にはかなりの力量を必要とするメタフィクションというジャンルにおいて、ではこの作品はどうかというと……傑作!この面白さは野崎まどなんかに通じるところがあるんじゃないかな。

とにかくハイテンションなのだ。

とくに三章の、言及塔まどかと地の文がしょうもない喧嘩を始めるあたりや、しまいには地の文と地の文が喧嘩を始めるところなど大笑いしながら読んだ。

四章にて、かつてのライバル『読者への挑戦状』がせまりくる敵から主人公たちを守るあたりは感動で涙が止まらなかった。すごい……。

ただ、物語の構造によって物語が解決するラストシーンは、そのまま人工的、構造的な感触があって残念だけど、しかしそもそもがこの小説はそういう小説なので仕方がない部分もある。これはあらゆるメタフィクション的無茶苦茶を通過し、物語が勝つという話なのです。

今どき、メタフィクションなラブコメなんてものはもうすっかり見慣れたものになってしまったけど、これは傑作でしたね。

しかし最近はどのラブコメも、作者が意識している・いないにかかわらず、メタ意識みたいなものが通底に流れている気がしますね。ん???それは、本格ミステリというジャンルを愛し、愛しすぎるあまり内省的内省的になりついにはジャンルを壊してしまった新本格に通じるのでは????つ、つながった……。すべての道はミステリに通じる。僕の頬を一筋の涙が流れた――。

これは学園ラブコメです。 (ガガガ文庫)

これは学園ラブコメです。 (ガガガ文庫)

 

「いつまで面白がっているつもりだ」

不意に、耳元でささやく者があった。

ぼんやりと浮かぶ黒。

日本文学だ。

「もういい加減帰ってきなさい。そのような、面白いだけの、他になんの取り柄もない小説なんか、読むな。ストーリーがある小説はカス。キャラクターがいる小説はカス。文章だけで勝負しない小説はカス。忘れたのか?」

日本文学が僕のまわりを飛び跳ねながら、叫ぶ。

――い、いやだ。あそこは暗い。そして寒いんだ。あそこでは、誰も僕のことなんか見ていない。みんな、好き勝手自分のことだけを喚き散らして、それで満足したように帰っていくだけなんだ。僕の顔なんてちっとも気にしないで。

「読者の顔色を伺う小説はカス。自分の書きたいことだけを書かない小説はカス。誰かを楽しませるためだけに書いた小説はカス。いい加減思い出せ」

――ち、ちがう。誰かのことを想って書く小説だってすごい。ただ楽しんでもらいたい、その純粋な気持ちの何がいけない?

「なぜわからない。なぜ気づかない。なぜ目をそらす。小説とは自分の内側をひん剝き、さらけ出すことだ。穴が空いてクレーターのようになった胃、ニコチンで汚れて元の色を失った肺、排泄物が溜まって悪臭の漂う腸、そういった、人間が必死に隠している内側を提示するのが小説だ。思い出せ。なぜ忘れたフリをする」

――そ、そんなことはない。それだけが小説じゃない。そんなはずは……。

「云ってもわからぬバカ。もういい。お前はどこまで逃げても無駄だ」

黒が大きくなっていく。

 それはやがて、人ひとりを飲み込める大きさにまでなった。

僕は飲み込まれていく。

暗い、暗い、暗い底へ。

なにかを必死で探り当てた手のひらがつかんだのは小さな文庫本で、それはなんの助けになることもなく、僕は深い穴の向こうへと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は今、暗い井戸の底にいる。ここは暗く、そして寒い。唯一の光源は、頭上から射すわずかな星明りだけ。

僕はその星明かりを頼りに、必死につかんだ文庫本、殊能将之『子どもの王様』を読んだ。お、おもしろ……っ!ただ、傑作とは言えない。『黒い仏』や『鏡の中は日曜日』を書いた作家にしては、あまりにも単純すぎるというか、子どもの王様の正体については序盤ですぐにピンときてしまうし、この結末だってありきたり感を拭えない……と感じていた僕だが、解説を読んで完全にやられてしまった。

 大人の読者であれば、登場人物たちの設定を把握した段階で、「子どもの王様」が誰なのか、だいたいの見当は付くだろう。

 しかし、小学生のショウタ少年には、まったく――それこそクライマックスで「子どもの王様」と対峙してその顔を間近で見るまで――分からないというのがこの話のポイントなのだ。大人ならば分かるけど、子どもには分からない。 

 あ、ああああ!

僕は馬鹿だった。

そうなのだ。大人なら分かるけど、子どもには分からないのだ。家族にも様々な形や、事情があることなど。誰しも平等に愛されているわけではないことなど。それこそ、子どもを虐待の末殺してしまう大人だって、いる。

だから殊能将之は書いたのだ。

いずれ大人になる子どもたちへ。

いつか子どもだった大人たちへ。

少しでも、なにかを感じてもらえれば、と真剣に祈りつつ。

僕は深い深い深い穴のなかで、一人涙した。そして感謝した。殊能将之に感謝した。しかし、殊能将之はもう、いない。数年前に惜しまれつつこの世を去ってしまった。

みんないなくなる。

確かに、日本文学の云うとおり、ストーリーのある小説はカスなのかもしれない。キャラクターのいる小説はカスなのかもしれない。文章だけで勝負しない小説はカスなのかもしれない。

だけど、同じようにストーリーのない小説だってカスだし、キャラクターのいない小説だってカスだし、文章だけで勝負する小説もカスなのだ。

結局、何を書いても、小説は全部カス。

だがしかし、誰かのことを想って書くかぎり、少なくともそれは小説になる。まごうことなき小説になる。比類なき小説になる。たった一つの小説になる。

殊能将之はそうやって書いた。死んだ作家はそうやって書いた。生きている作家はそうやって書いた。これから生まれゆく作家はそうやって書いた。作家になれなかった作家はそうやって書いた。

気がつけば、頭上にはまばゆい輝きが満ちていた。光が、僕の身体をあかく染める。

ここはもう、暗くなく、そして寒くもない。

僕は色々なことをすぐに忘れる。読んだ小説のストーリー、魅力的なキャラクターの名前、心に強く響いた文章。

だけれど、その小説を読んだという事実だけは消えない。僕のなかに残りつづけるものは、確かにある。

まばゆい輝きに照らされながら、僕は少しだけ眠り、目が覚めたらここを出ていく。

おわり。

子どもの王様 (講談社文庫)

子どもの王様 (講談社文庫)